健康経営と世代間ギャップ

~メンタルヘルスでプレゼンティーイズムを解消しよう~

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  • 田中 龍佑

はじめに◆期待される健康経営
「健康経営(※1)」への注目度が高まっている。このコンセプトは、アメリカにおいて1992年に出版された「The Healthy Company」の著者であるロバート・ローゼン氏が提唱した「人的資本への投資こそが企業業績拡大にとっての重要な戦略投資である」という考え方に基づいている。すなわち、企業にとって、従業員の健康は重要な経営資源であり、健康維保持・推進に積極的に取り組むための費用は単なるコストではなく、企業の生産性向上、将来的な収益性等を高めるための投資であると考える。その上で、従業員の健康管理を経営的視点から考え、戦略的に実践することを「健康経営」という。


なぜ、日本では最近になり、この「健康経営」が注目されているのだろうか。その背景には、少子高齢化や生産年齢人口の減少、増加し続ける国民医療費、データヘルス計画の開始など国の施策の積極化があると考えられる。少子高齢化が進み、生産年齢人口も1995年の8,726万人をピークに減少の一途をたどっている。この傾向は今後も継続していく見通しである(図表1)。

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また、少子高齢化の影響もあり、国民医療費が増加することで健康保険組合等の財政悪化が引き起こされ、結果として健康保険料の上昇という形で企業負担が増加している(図表2)。

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このような状況下において、企業が積極的に従業員やその家族の健康維保持・推進に積極的に取り組むことは、企業負担の増加を抑え、生産性を向上させるために必要不可欠である。


企業が従業員の健康に積極的に関与する必要性が高まる中で、国の施策として、厚生労働省の下でデータヘルス計画が始動した。これは、企業にとってチャンスである。2015年より本格的に開始されたこの施策では、健康保険組合と企業の協働(コラボヘルス)が従来以上に求められている。企業にとっては、健康保険組合から客観的なデータに基づく情報提供を受け、分析することでより効果的な従業員の健康管理が可能となる。さらに、データヘルス計画と呼応し、経済産業省主体で進められてきたのが、企業における健康投資の促進に関する施策である。健康投資の促進施策として、健康経営銘柄の選定、企業による情報開示の促進、健康投資ガイドブックの策定・公表などがある。株主・投資家が企業を評価する際にも、非財務指標が重視される傾向にあり、企業にとっては健康投資による企業価値向上が期待される。このように、内部・外部環境の変化によって従業員の健康維保持・推進の必要性が増したことで、「健康経営」の注目度が高まっているのである。


真犯人◆企業に巣食う金食い虫は「プレゼンティーイズム」
前述した背景により、企業による「健康経営」への取り組みは活況を帯びている。健康経営銘柄の選定企業紹介レポートを眺めてみれば、各企業が自社の健康課題に対して様々な取り組みを実践していることが分かる。また、ある研究では、職場によってかかりやすい病気や健康状態が異なっていることが明らかになっている。自社の従業員の健康データを分析し、より効果的な施策を模索することで、健康維保持・推進の実効性を高めることが可能になるだろう。データヘルス計画によるコラボヘルスの推進が、さらに効果を高めると期待される。「健康経営」については、中小企業における認知度の低さ(大同生命保険株式会社の調査によると、内容を知っている経営者は10%)など、種々の課題が残されているものの、概ね順調に波及しているように見える。


「健康経営」に対して企業が期待する具体的なベネフィットについて、詳細に見てみよう。一般的には、医療費負担の削減や従業員の健康増進の結果生じる生産性損失(プレゼンティーイズム(※2)・アブセンティーイズム(※3))の改善、企業イメージ向上やその結果得られるリクルーティング効果等が期待効果として挙げられている。この中で、特に職場の労働生産性低下要因として注目されているのが、プレゼンティーイズムである。病気等による欠勤を表すアブセンティーイズムと対比されるように登場した言葉であるが、ある健康関連総コストについて試算した結果では、健康関連総コストのうち相対的プレゼンティーイズムは約78%を占めると言われている(図表3)。

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すなわち、企業が「健康経営」の推進により得られる最大のベネフィットは、このプレゼンティーイズムの解消ということになる。


プレゼンティーイズムの損失コストについては、様々な方法で試算されている。その中で、プレゼンティーイズムをWHO-HPQで測定し、健康関連指標(身体的指標、生活習慣指標、心理的指標の3つに分けられる)の各指標との関係について調査したものがある。健康関連指標をさらに細分化し、各項目についてリスク者と非リスク者の間にプレゼンティーイズムの差があるかどうか調査したものである。この調査の結果、身体的指標では血圧・肥満の項目で有意に、生活習慣指標ではアルコール摂取・運動習慣・睡眠休養の項目で有意に、そして心理的指標では主観的健康観・生活満足度・仕事満足度・ストレスの全ての項目で有意に差が生じていた。特に、プレゼンティーイズムと心理的指標との関係においては、リスク者と非リスク者の損失コストに大きな差が見られた(図表4)(なお、アブセンティーイズムについても心理的指標との間に高い相関を示すことが知られている)。

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これらのデータから、従業員の心理的な健康(メンタルヘルス)は、企業の健康関連コストの削減に大きく寄与するのではないかと考えられる。その理由は、平成27年度「過労死等の労災補償状況」(厚生労働省)のデータを見ると理解できる。「健康経営」の注目度の高まりとともに、脳・心臓疾患に係る労災請求数が減少傾向にある一方で、精神障害に係る労災請求数はむしろ増加傾向にあるからだ(図表5)。

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メンタルヘルス◆世代間ギャップによる健康被害
もっとも効果的であると考えられるメンタルヘルスについては、思ったほどの改善が行われていない。健康労働安全衛生法の改正で、平成27年12月よりストレスチェック制度が導入され、政府の働き方改革実行計画の中でも、メンタルヘルス対策等の新たな目標を掲げることを検討する旨が明記されるなど、心理面での健康維保持・推進への取り組みの強化が国を挙げて推し進められている今、企業の「健康経営」も、よりメンタルヘルスへの投資が求められているのではないか。メンタルヘルスについてのデータも集まりつつある中で、ただの現状把握に留まらない、攻めの一手に期待するところである。


攻めの一手と言っても、攻める方向を間違えてしまっては投資が無駄になってしまう。そこで、興味深いデータを紹介しておく。2017/5/26の日本経済新聞に掲載されていた、日本には「熱意あふれる社員」の割合が6%しかいないことが分かったという記事である。その中で、「熱意あふれる社員」の割合が低い理由として、現在の管理職世代と(1980~2000年頃に生まれた)ミレニアル世代の求めていることが全く違うことを挙げている。メアリー・ミーカー氏の発表した「Internet Trend 2015」では、ミレニアル世代にとって仕事上で大切なものが何か調査した結果が紹介されている。管理職の48%が、ミレニアル世代にとって仕事上で大切なものは「High Pay(高給)」だと回答した一方で、ミレニアル世代で最も回答率が高かった(回答者の30%)のは「Meaningful Work(有意義な仕事)」である。なお、ミレニアル世代にとって大切なのは「有意義な仕事」だと回答した管理職は11%に過ぎなかった。他にも、「Sense of Accomplishment(達成感、充実感)」と回答したミレニアル世代が24%いたのに対して、管理職では11%だった。管理職世代とミレニアル世代の仕事上の価値観の違いについては、デロイトトーマツによる「2016年 デロイト ミレニアル年次調査」の調査結果でも指摘されている。このように世代間で価値観に違いがあることは、特にメンタルヘルスの面では、要注意である。


独立行政法人経済産業研究所の「企業・従業員マッチパネルデータを用いた労働市場研究」プロジェクトのレポート(「Good Boss, Bad Boss, Workers’ Mental Health and Productivity : Evidence from Japan」2016年)では、上司と部下の関係がメンタルヘルスに影響を与えるというデータが示されている。このレポートでは、上司の評価を7つの指標で実施し、良い上司の下で働く労働者と悪い上司の下で働く労働者の間では、メンタルヘルスに有意の差が生じていることを報告している。特に、上司と部下のコミュニケーションが良くとれていないと認識している場合と、上司が優秀でないと認識している場合には、そうでない場合と比べ、メンタルを毀損したり、生産性を低下させたりする労働者が多い傾向にあるそうだ。上司と部下が、双方の価値観の違いを認識したうえで、お互いを理解しようとすることが、メンタルヘルスには大切であると分かる。


メンタルヘルス、心理的な健康については、肉体的な健康以上に世代間ギャップや個人差による影響が大きいようだ。職場によってなりやすい病気や健康状態が異なっていると前述したが、同じ社内だとしても、画一的な取り組みだけでは「健康経営」による効果は限定的になってしまう。一部の従業員にポジティブに働く取り組みが、他の従業員にとってはむしろネガティブに働いてしまうこともあり得る。様々なところでダイバーシティが高唱されており、企業には今後、従業員一人ひとりの違いに対応できる、柔軟性のある制度設計が求められるだろう。まずは自社の従業員の健康データを多方面から十分に分析し、「違い」に気づくことが肝要である。


本稿が貴社躍進の一助となれば幸いである。


(※1)「健康経営」はNPO法人健康経営研究会の登録商標
(※2)従業員が出社していても、何らかの不調によって頭や体が思うように働かず、本来発揮されるべきパフォーマンス(職務遂行能力)が低下している状態のこと
(※3)従業員が病気や体調不良等によって欠勤している状態のこと

参考文献
[1]『中小企業経営者アンケート「大同生命サーベイ」—平成29年3月度調査—』(大同生命保険株式会社、2017年)
[2]『リスクマネジメント最前線「ビッグデータで健康経営を描く ~企業活力向上のカギは『健康経営』~」』(東京海上日動リスクコンサルティング、2016年)
[3]『「熱意ある社員」6%のみ 日本132位、米ギャロップ調査』(日本経済新聞、2017年)
[4]『INTERNET TRENDS 2015 - CODE CONFERENCE』(メアリー・ミーカー、2015年)
[5]『2016年 デロイト ミレニアル年次調査 次世代のリーダーたちの獲得をめざして』(デロイトトーマツ、2016年)
[6]『Good Boss, Bad Boss, Workers’ Mental Health and Productivity : Evidence from Japan』(黒田 祥子(早稲田大学)、山本 勲(RIETI)、2016年)

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