「ワークライフバランス」が死語になるとき

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  • 飯澤 豪

先日、東京都文京区の成沢広修区長が約2週間の育児休暇を取得することがマスコミに大きく報道され、世間の注目を集めた。また、「イクメン」なる言葉が流行しているという(イクメン=育児するメン(男性))。これらは男性の育児参加に関する世の中の動向だが、最近はワークライフバランス(これ以降:WLB)に関連する言葉や報道が数多くみられるようになった。しかし反対にそれらを見るにつけ、日本におけるWLBというものはまだまだ「モノ珍しいもの」であり、流行語のようなものとして扱われているのではないかと考える。


ともすれば「あちらの企業が○○というWLB施策を導入した」「最近は××という施策があるのが当然らしい」等の声が聞かれ、WLBという言葉が独り歩きを始めることにもなる。WLB施策の有無は企業のレピュテーションや、優秀な人材採用に直結するファクターの一つであるということであり、WLB導入が各企業において強く意識することが義務付けられているといえよう。その結果、各企業の担当者は従業員の真のニーズを十分に汲み取ることができないままでWLB施策を導入し、安心しているケースも多いのではないだろうか。制度の導入が目的となってしまっているケースである。


仮に自社の業種の特性や、規模、男女比等を鑑み、従業員へのヒアリングによるニーズ調査等によって、自社に相応しい制度を導入することができたとしても、更に困難であり本当に必要なことが、次に求められている。それは従業員側の「なぜ、WLBが自分にとって必要か」「そのためには、自分の何を変えなければならないか」という一種の意識改革を実現することである。例えば、「定時退社」をルールとして導入したとする。しかし、従業員の意識が何も変わらないままなら、時間内に業務を終えることができず残務が累積していく、ということにもなりかねない。業務を完遂し、「定時退社」を実現するためには、どうすればよいか?と従業員一人一人が考え、工夫する必要がある。


WLB施策というものは、ただ漫然と従業員が受け入れればよいというものでなく、その実現のためには、各種施策の導入と同時に、従業員の意識改革(「WLB仕様」)が必ずセットになっていなくてはならない。そして経営者は従業員の意識改革を促すために、その必要性を直接従業員に語るべきであろう。その制度はなぜ必要か。その制度を導入することにより予想している効果は何か。そして会社側は従業員に対して何を期待しているのか。その中で、WLB施策は、企業から従業員への一方的なギフトでなく、バーターとして従業員に対して意識改革(「WLB仕様」)を求めていることを地道に伝えていくべきであろう。


そもそもWLBとは、「仕事」と「生活」のバランスをとる、などという小さなスケールのものでなく、多様な働き方を提供することにより、従業員一人一人が、自分の一日、一週間、一ヶ月、一年、一生を俯瞰する契機となるものであると考える。その中で、企業内で労働し、生計を立てるという選択肢以外が想定されてくる可能性もある。自分の残された時間を、何色の絵の具で彩るか。何かに「生かされている」のではなく、自律的に「生きている」ことの実感こそが、真のモチベーションアップ、ひいては一人一人の生産性の向上につながる。従業員が自分の生活を自律的にコントロールし、当然のように人生のポートフォリオを作り始め、WLBという流行語が死語になった時、本当の意味でのWLBが達成されたことになるのかもしれない。その時に、我々の前にどのような見たこともない社会が出現するのであろうか。

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