1円ストック・オプションの公正価値が意味するところ

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  • 三上 徹

1.はじめに

本稿では、役員退職慰労金の代替策として、従来にも増してその導入が進められている『権利行使価格を1円とした株式報酬型ストック・オプション』(以下、「1円ストック・オプション」という。)の公正価値の算定手法について検討を行う。ストック・オプション取引における会計処理は、この公正価値をベースとして費用処理が行われるため、その算定手法を把握することは、実務上も有益なことと思われる。

2.ブラック・ショールズ式による公正価値の算定

ストック・オプションの公正価値算定手法は、「確立された理論的な基礎」と「実務での汎用性」の2つの要件を満たす必要があるが、多くの事例では連続時間型モデルであるブラック・ショールズ式が利用されている。ここでは、1円ストック・オプションの公正価値算定に、このブラック・ショールズ式を用いる場合の計算概要を説明する。

少々複雑ではあるが、ブラック・ショールズ式は、記号を用いて表すと以下のとおりである。

ブラック・ショールズ式

ごく一般的な計算前提と考えられる以下の説例を上記の式に具体的に当てはめ、計算の流れとその意味するところを確認する。


なお、1円ストック・オプションの場合の予想残存期間は、通常長めに設定されている表面上の権利行使期間にかかわらず、現在の役員が退任して権利行使すると想定される平均的な期間を合理的に見込む。また、ボラティリティや無リスク利子率は当該予想残存期間に対応した数値を計算の基礎とする。

【説例】

S: 株価 ⇒ 500円
X: 権利行使価格 ⇒ 1円
r: 無リスク利子率 ⇒ 0.1%
t: 予想残存期間 ⇒ 3年
σ: ボラティリティ ⇒ 30%
q: 配当利回り ⇒ 2%


まず、標準正規分布の累積分布関数N( )について考える。表計算ソフト、エクセルの関数機能を使って確認することが可能であるが、d1が4を超えるような場合、N(d1)はほぼ1となる。権利行使価格が1円のストック・オプションでは、d1の第1項[ln(S/X) /(σ√t) ]が相対的に大きな正の値となる。また、第2項[ (r -q +σ2/2) t /(σ√t) ]もボラティリティが小さい場合を除いて正の値となるので、N(d1)は1とみなせる。


説例の数値で確認すると、


d1の第1項=11.96 d1の第2項=0.15  d1=12.11  N(d1)≒1 となる。


なお、株価が2ケタ台で、かつ予想残存期間が10年を超え、ボラティリティが大きなケースでは、第1項が4を下回ることもあるが、正の値となる第2項を加算するとN(d1)は1に十分近づくことになる。(もっとも、株価低迷にもかかわらず、経営陣が長期間在任するような事態はごく稀なケースと考えられるので、こうした前提自体が非現実的であると考えることも可能である。)


これに対してd2 は、第2項[ σ√t ]の大きさによっては、N(d2)が1に十分近いとみなせない場合も想定される。しかし、これに乗ずる相手方が権利行使価格の1円であるので、公正価値全体に与える影響から判断すると、N(d2)を1とみなして差し支えないと考える。


説例の数値で確認すると、


d1=12.11 d2の第2項=0.52 d2=11.59  N(d2)≒1 となる。


以上により、1円ストック・オプションの公正価値は次のように近似できる。


C ≒ S・e-qt-e-rt=株価/(1+配当利回り)t-1/(1+無リスク利子率) t


実務上は、複利計算で使用する配当利回りや無リスク利子率の見積りを行って後、連続配当率や瞬間利子率を算出してブラック・ショールズ式に入力する。このステップを省いた形で、かつ近似式の意味を理解し易くするため、連続配当率や瞬間利子率を通常の複利計算に置き換えた式も展開した。

3.公正価値算定結果の意味するところ

権利行使価格が1円のため、役員退任時に必ず行使される1円ストック・オプションの公正価値は、ボラティリティの影響をほとんど受けない。これは、『権利行使価格が権利付与時の株価等に設定されるため、その後の株価の上下への振れ幅の大きさによってその価値が大きく変動する』通常型ストック・オプションの公正価値と大きく異なる点である。


このため、1円ストック・オプションの公正価値の近似値は、権利行使時までの配当の払い出しを調整した株価から、権利行使時において払い込まれる1円の現在価値を差し引いた金額となる。これは、上記2における複利計算の近似式に他ならない。


もちろん厳密には、1円ストック・オプションの公正価値もボラティリティの影響を受けるし、そもそもボラティリティの適正な算出自体に工夫を要するケースも想定される。そうした状況を踏まえれば、公正価値の算定を外部の専門家へ依頼することが一般的であることも理解できる。


ただし、外部の専門家へ依頼する場合でも、ブラックボックス化を避け、社内における統制を有効に機能させる観点から、発行企業の担当者はその計算結果の意味するところを理解する必要があるものと思われる。

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