第11回 精神文化に立脚した尊敬される日本人へと意識改革が必要

ゲスト 古賀 誠氏 衆議院議員

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対談動画(大和スペシャリストレポート)

本当の日本の国益は、お金ではなく文化である。それを、ものやお金の豊かさが幸せの尺度だと、高度経済成長の中で誤ってしまった。あの国はすばらしいと、日本人の精神を世界が尊敬してくれるというところの価値観への切り替えが遅れたのだ。 国民もそれがわかりつつあるのではないか。国民一人一人の意識復興、意識改革ができるかどうかに、日本の国の浮沈がかかっている。 そして、海外諸国と精神文化の面でも本音で話をできるような信頼関係を築き、継続させていくことが50年先、100年先を見据えて必要なことではないだろうか。

川村

本日の「亜太三人行」は、日本の政界を知り尽くしていられる、自由民主党の古賀誠先生においでいただきました。古賀先生は親中派、知中派ということでも著名な先生です。はじめに古賀先生の中国とのそもそものご縁を伺いたいのですが。


古賀

わが国にとって、中国は避けて通れない大国だと思います。私が政治の世界に入って薫陶を受けてきた宏池会では、特に大平先生が、日中関係の正常化を実現され、また、友好的な関係を築いてこられた大先輩です。そういう歴史的な流れの中で、中国との関係を私たちも重要視しています。個人的には、私は父親を太平洋戦争で亡くしています。あの戦争を経て、とりわけ中国とはいろいろな意味で改善していかねばならないところがありますし、またこちら側から中国に伝えなければならない問題もあります。靖国の問題などはその代表的なものかもしれませんね。そういう意味でも、中国との関係に私自身個人的な関心を持っていたのです。

川村

初めて中国を訪問されたのはいつごろですか?


古賀

私が初めて国会議員になった後、1982年、鈴木善幸首相の時だったと思います。


川村

それ以来30年近い中国との交流の中で、思い出深いあるいは苦労されたエピソードはありますか。


古賀

悪い思い出は一つもありません。訪問のたびにいろいろなことを勉強してきましたし、また、びっくりすることが多かったですね。行くたびに高速道路はどんどん伸びるし、自転車から自動車に代わるのもまたすごいスピードでしょう。日本の場合は高速道路を初めて供用したのが1963年、それから今日までどのくらい供用しているかと言いますとわずか9700キロメートル。中国は、初めての供用が1988年と言われています。私は2009年までのデータしか記憶してないのですが、それから21年で6万5千キロメートルです。恐るべきスピードですよね。それだけ見てもわかるように、思い出に残ることは、やはりすごいスピードでいろんな分野が改革され、そして発展、充実してきた、これが一番の驚きですね。それと次に、階級社会だな、とも感じました。例えば、列車を利用するにしても、駅のプラットフォームまで車で送ってもらうわけで、ちょっと日本では考えられないことですよ。


川村

このところ、経済危機を含め世界中が難しい問題に囲まれている中で、中国は政府の動きが非常に早いし、政策の出力も大変大きい。それが今のところうまくいっています。政府のリーダーシップ、指導力の強さを感じます。反対に、失われた20年などといわれる日本では、政治的なリーダーシップがどんどん弱くなってきているのではないでしょうか。特にこの数年は、どうも日本人全般が政治に対してあまり頼れないと強く感じているような気もします。そうした政治のあり方についてはどんな風に思っておられるのでしょうか。


古賀

ご指摘の通りだと思いますね。そのことは非常に反省していますが、中国と日本では政治の体制が違うことは否めません。中国の場合は一党によって政治体制ができています。わが国の場合は、民主政治を政治の基本にし、経済は市場主義を基礎としています。そういう体制の違いが日本のリーダーシップの不足につながっていると思います。民主主義というのは、時間とカネがかかるものなのです。それに加え、日本の国は発展途上を過ぎて成熟期を迎え老齢化しつつある、そういう環境も一つの要因となっているのではないでしょうか。


薛軍

日本の国内政治の面からご覧になって、日本の失われた20年の原因はどういうところにあるのでしょうか。


古賀

日本の国の方向付け、すなわち、国民の幸せという価値観が多様化したなかで、日本の固有の文化、特に精神文化、他の世界の国にない家族と家庭を国の基本におくということがもっと早い時期に気づかれるべきで、それへの変化が、遅れたのではないかという気がします。ものやお金の豊かさが幸せの尺度だとする考え方は、日本が高度経済成長時代の中で誤ったもののひとつだったのではないかと、私は思います。本当の日本の国、こんな小さな資源のない国の国益というものが何かと言うと、それはお金ではなくて文化なのです。つまり、あの国はすばらしいと、日本人の精神を世界の国が尊敬してくれるというところへの価値観の切り替えが、ちょっと遅かったのだと思います。私の尊敬する大平正芳さんが総理になった時に、国民に約束したことは2つありました。1つは家庭基盤の整備、今1つは地域田園都市構想です。この2つが、残念ながら失われた20年の象徴的な問題ですね。結局、家族や家庭というものが失われ、都市と地域・地方の格差が出てきて、地域が置き去りにされてしまいました。都市が一人勝ちしてはだめで、地方の元気が日本の元気だとの考えです。

中国は日本の過ちを繰り返さないように、今の日本の都市と地方との間にある格差が生じないような政治をやっていただければと思います。地方をここまで疲弊させている大きな原因は、第一次産業である農業、林業、漁業という地方の活力になる産業が置き去りにされてきたことです。戦後の自民党政権の政策で一番失敗したのが、農業などの第一次産業対策です。私が最初に当選(1980年)したときの国家予算は当初予算で70兆円前後でした。その中で農林水産業に使う農林水産省所管の予算が3兆4千億円くらいです。今年(2011年)は国家予算が92兆円を超えていますが、農林水産省の予算は2兆4千億円ですね。全体のパイは増えているけれども、その分野の予算は減ってきています。さらに、農業、漁業、林業に従事する人口は当時3,000万人いましたが、今農業では260万人に過ぎません。


薛軍

第一次産業に元気がなくなれば国の元気がなくなる、これは中国にとって非常にいいアドバイスだと思います。なぜかといいますと、今の中国は都市化、工業化が進んで、農業人口は減ってきています。産業構造の調整に際してのバランスの問題について、アドバイスいただければと思います。

古賀

日本のように、資源のない国が技術、加工といった分野を伸ばし、外需に力を入れ、国を豊かにしていくことはやむを得ないと思います。しかし、行き過ぎはいけない、どこかで歯止めをかけて、第一次産業を国の責任においてどこまで守っていくのかを決めなければなりません。ここが非常に難しいけれども、勇気を持ってやりませんとね。


川村

私が長崎へ住んでいたときにつくづく思ったのは、長崎空港から高速道路を走ると、時間によっては前後に車が一台もいないのです。一方、首都高速だと車は全然動きません。首都高速は700円で、長崎はその区間600円。結局、大都会の東京でお金を払って田舎の長崎に補填しているのかなって正直感じたわけですよ。ところが地方にいると、世の中不景気だって言っているのに東京は関係ないみたいに感じるわけです。ブランドのバッグを買って、おいしいレストランで食事をしてと、みんな大変だと言いながらも楽しんでいます。地方はそれこそ一家離散なんていうのは年がら年中です。この差は何だ、結局都会に富が偏っているのではないか、国全体をもう少し平準化して格差を縮めていく、それが政治ではないかと多分地方の方は思うはずです。

古賀

私が申し上げたいのは、国際分業の中で、第二次、第三次産業はそれぞれ企業の自助努力によってかなり力を伸ばすことが出来る、しかし、第一次産業は一人頑張っても限界があるということです。これに対して、政治はどういう補填をするのか、決して一方的な補助だとか助成ということを意味して言っているのではありません。国の均衡ある発展というのは、何も高速道路をどんな田舎にも同じように作れとか新幹線を引けとかというのではなくて、地方に必要な力をどこまで与えていくか、その投資を上手く使わせるかということが大事なことで、これが均衡ある発展につながることになります。だから、その資金配分の問題を、私は非常に大事な政治の課題と思っています。


薛軍

仮に20年、あるいは30年時間を戻せるとしたら、日本の農業を元気にするためにどういう政策を採用すればいいですか。


古賀

農業というのは、ある意味での面積の集積が必要です。それなのに今の日本の法律は、親が亡くなったらすべて兄弟平等に財産分与をしています。すると田んぼはどんどん小さくなっていってしまいます。だから、一つはどうやって集積するかということを考えなければなりません。それから、今耕作に従事している農家の人たちも高齢化が進んで、自分はもうやれない、跡継ぎもいないとなっています。その人たちが本当に農業をやる気のある担い手にどう土地を提供するか、提供する側にどのような支援をしていくかと、いろいろなことを考えなければならない時にきています。一方で、30年前の日本の農業はそんなに機械化は進んでおりませんでした。大事なところは、人手はかかりますが、昔からの歴史と伝統の中で自分の技術でやる分野というのを残さなければなりません。第一次産業が機械化されるということは、私は決していいことではないと思いますね。それでは、それに携わっている人たちの所得をどう手当てしていくのかということが課題となります。農業というのは何も食糧生産だけではなく、土地を水害から守る、自然環境を維持するといった多面的な役割がありますから、それをどう評価して所得を助けるのか、それが第一次産業を根付かせるために政治でやらなければならない一番大事なところだと、私は思っていますね。

薛軍

いいアドバイスをいただき、ありがとうございます。


川村

日本は高度成長が終わり、55年体制といわれ自民党の定番であった政権が交代した前後から、国民の意識がずいぶん変わってきたような気がします。かつては、大物政治家へのリーダーシップの期待もあったし、ある程度政治家もその期待に添うことができました。しかし今は、そういうリーダーシップを政治家に求めなくなってきているのではないでしょうか。それでも国がここまで大変な状況になってくると、日本人も次第に強いリーダーシップを、強力な指導者の出現を望んでくるのではないかという気がしてくるのですけれど、いかがでしょう。


古賀

われわれ国政に携わっている者にとって一番恥ずかしいところを指摘されているわけですが、私が最初に中国に国会議員として訪問した時から数えて、今の野田さんで19人目です。

私が初当選した当時の鈴木総理から、31年で19人。その中で、中曽根、小泉両総理の時代が10年ありますから、17名で21年ということですね。平均1年あるかないか、まさに政治の貧困ですね。それと、本当にこの国をどうするかという哲学とか信念を持った政治家が必ずしも当選してきていません。今の政治家は自己表現ばかり大切にして、国民も政治家をパフォーマンスができるかどうかで評価します。私はそれにはメディアの責任も大きいと思います。その意味では、小泉さんの責任は大きいなと、それと小泉さんにぶら下がったマスコミも同様です。国民にまるでスポーツ選手や役者の芝居を見るように、劇場型の映像で伝えています。これは、失われた10年あるいは20年の象徴だと思いますね。国民もそこがわかりつつあるのではないでしょうか。また、わからない限り日本の国は沈没します。そうした国民一人一人の意識復興、意識改革、これができるかどうか、そういう教訓として受け止める必要があるのかもしれませんね。


川村

最近強く感じるのは、新しい媒体が急速に広まってきていることです。それも情報の出し手が名乗りもせず、一方的に真偽を取り混ぜた情報を山のように垂れ流す傾向があります。中国も同じような状態にあると思うのです。メディアの一部には、真実を迅速に伝えるということではなくてスキャンダルの追っかけ屋みたいになってしまっているところもあります。また、マスコミ批判と言うのは、マスコミはあまり取り上げないのですね。メディアへの対応、あるいはメディアの意識改革というのはどういうようにしたらいいのでしょうね。


古賀

私も確かな答というのはないのですけれども、政治というのは結果です。政治に結果をなくしたら、これはもう何の責任も使命もないということですね。しかし、今行われていることは、総理の言っていることについてすら誰も結果を報道しようともしませんし、追及しないですよね。私はメディアの責任として一番欠如しているところだと思うのですね。


薛軍

もう一つ、3月11日に発生した東日本大震災について、当時の政府の対応は非常に問題だと多くの人に言われていますが、古賀先生のご感想はいかがでしょう。


古賀

およそ復旧、復興の対応になっていませんでした。特に原発の処理の問題というのは、全くスピード感がない上、組織的な動きがとられず、内閣はバラバラ、官僚もバラバラでした。私はこの遅れの原因を揚言すれば、まさに内閣の貧困に尽きると思います。すべての責任を一身に自分が負う、すべての組織にその力を100パーセント、120パーセント発揮させるというのが、総理大臣のリーダーシップです。それなのに、総理が組織を動かすことができなかったのですから、スピード感が出るわけがなく、無策を通り越した復旧、復興だったと思いますね。


川村

古賀先生は官僚機構の活用の仕方が非常に巧みで、官僚からも信頼感を得ているとかねがね窺っているのですけれども、ここ10年くらいは何でも官僚が悪いという風潮になっています。これについてはどんなふうにご覧になっていますでしょうか。


古賀

誕生して2年の民主党政権には、自民党政権とはいくつもの大きな違いがありますね。日本の国は政党政治ですから、国家も国民の運命も政党に帰属するというのは当然で、だから政権を担う政党が代われば大きな変化が出てくるというのは当たり前です。今言われたのはいくつかの大きな変化が出てきているうちの一つですね。官僚の政策に関する知識、頭脳や持っている経験は、政治家が逆立ちしても敵いませんし、能力は官僚が数段長けています。この人たちの力を100にするのか200にするのかは、大臣であり、副大臣であり、政務官だと私は思いますよ。官僚の力、経験と能力を発揮させることが大切です。今の政治のように官僚を叩いていて、政治主導などというのはありえません。


それから、戦後66年のわが国の民主主義で最大の欠点は、一番大事な人づくり教育に失敗したことです。確かに経済は豊かになりましたし、すばらしい製品を作り出すことには成功しましたが。


川村

人づくりに失敗した、身につまされるお話ですね。私の大学教員の経験に照らしても実感します。


古賀

国はやっぱり人ですから。その人づくりに失敗した、これはもう間違いありません。何故失敗したか、それは残念ながら教育の現場にあることは疑いないです。


憲法改正はいろんな点で議論されていますが、私は、第9条、この平和憲法は、国の世界遺産だと言っています。この第9条は大事にしなければいけませんが、私は国民の権利と義務を定めた現行憲法の第3章は絶対変えなければならないと考えています。これを変えない限り、家族も戻って来ないし、家庭も取り戻すことはできません。第3章は、第10条から第40条まで30条の項目から成っていますが、そのうち国に果たす義務はたった3つしかありません。納税と労働と義務教育の3つです。あとは全部権利です。だから私は、憲法改正は絶対必要だと主張しています。日本の国民として権利を主張するなら、義務も同じように果たさなければいけません。あまりにもアンバランスであり、これを変えない限り、家族と家庭は帰ってこないと私は思っています。


川村

最後に定番的な質問を。日中間は、今後もあらゆる面でますます重要になっていくと思いますが、古賀先生の経験を踏まえて、日中双方に対して何かアドバイスがありましたらお願いします。


古賀

私は日中関係というのは、非常に長い歴史と、またよその国々にはない文化的な交流の歴史を有していると思います。一時期不幸な時代があったわけですが、この不幸だった時代をどう乗り越えていくのか、というのが極めて大事だと思います。今、残念ながら中国では親日家よりも親米の勢力がどんどん伸びているというのが事実です。なぜかというと、日本の国は、一番大事な日本の固有の精神文化を失ってきていますから、中国にとっては魅力のない国となっているのです。経済的な交流はどうにでも改善できるし、改革できます。しかし、国と国との信頼関係の基本は民と民との信頼なくして成り立たないのです。だから、本音で話をすることが大切だと思います。相手が嫌がること、相手が怒ることでも、もし自分がこの人とこの国と友好、信頼を続けていこうと思ったら、それを言わなければなりません。日中は、自分の考えていることをすべて素直に伝え、間違いを間違いと明確に言える、そういうお付き合いを、私はやるべきだと思います。それが続けられれば、日中というのはお互いに信頼できる国として必ず復活し、今より深い絆ができてくるのではないでしょうか。それが、日本の国のためにも中国ためにも、50年先100年先を見据えて必要なことではないでしょうか、私はそう思っています。

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