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第7回 国の強みを活かす構造改革が中国の安定成長への途

ゲスト 大田 弘子氏 政策研究大学院大学 教授

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対談動画(ダイワインターネットTV)

その国の持っている強みが存分に活きるような仕組みを作っていくことが構造改革である。中国の強みは大きい消費市場であるが、貧富の格差が大きいと十分その強みは発揮することはできない。今年からスタートした第12次五カ年計画は、消費主導の安定した経済構造に変えていこうというよくできた構造転換のメッセージであり、5年間でこれが実行できれば、中国経済は新しいステージ入りが実現する。また、格差があることへの不満に対し、努力すれば豊かになれるという可能性が開かれた社会の実現が重要である。
川村

大田さんは、経済財政担当大臣として構造改革の主役の一人として大活躍され、政策研究大学院大学の副学長も経験されています。まず、大田先生と中国とのご関係についてお話ください。


大田

私が大臣をしておりましたときに、日中経済対話というのがスタートしました。それまでは公式な形で政府同士が対話するということはありませんでした。そこでは環境技術をどういう具合に日本から中国に伝えるかといったような話が出て印象的でした。そして、今の私の大学院は役人が勉強にきているところで、中国からもいままでに140名以上の学生が来ていて、現在も14名の学生さんが勉強しています。中国共産党の中央党校とも2009年に学術交流の協定を結んで、中央党校の若い方々が短期で研修に来たり、一緒にシンポジウムを開いたりしています。

川村

役人で現在政策研究大学院大学で学んでいる日本の若い人と、例えば中央党校から来ている中国の若きエリート官僚予備軍とを比較して、何か感じるところはありますか。


大田

学生として来ているのは、中央党校ではなく、中国の役所、中国政府、あるいは中央銀行からですが、平均的に見て中国の学生は優秀ですし、よく勉強します。他の国から来ている人と比べても優秀でよく勉強します。非常にいいですね。頼もしいです。日本の学生は国からも来ていますし、地方自治体からも来ていますが、留学生に比べるとおとなしいですね。


薛軍

政策研究大学院大学は中国の党校みたいなところですか?


大田

党校とは違いますけれども、政策研究の拠点です。アメリカでいうと、ケネディスクールがありますね。行政官が勉強にきているところです。


薛軍

大田先生がご自身で関わった日本の経済構造改革について、その話をお伺いしたいのですが。


大田

日本経済の転換点は90年頃にあります。90年代に世界と日本で起こった大きな変化にいまだに取り組むことができていないことが、現在の長い停滞につながっています。89年にベルリンの壁が崩壊し、冷戦構造が終わり、92年にはマーストリヒト条約が結ばれEUができました。同じ頃、アジアでは、91年にインドが本格的な経済改革を始め、92年は鄧小平が南巡講話という有名な講話をして、改革開放路線が決定的なものになりました。IT革命も90年代に大きく進みます。このような大変化で、ヒト・モノ・カネが国境を容易に超えるようになり、海外からの直接投資もこの頃から急増します。グローバル化が劇的に進むわけですね。その頃、日本国内では高齢化が90年代に急速に進みました。ところが、日本は90年代にバブルが崩壊した後は、不良債権の処理に10年以上かけてしまい、国外・国内での大きな変化に取り組むのが遅れてしまいました。2001年に小泉内閣が生まれ、ようやく構造改革が始まります。


私は2002年に役所に入り、まずは役人として構造改革に関わり、小泉内閣に続く安倍内閣では大臣として構造改革を進めました。構造改革の目的は、経済環境の大きな変化、すなわち世界的にいうとグローバル化が劇的に進んだ、日本国内では人口の高齢化が進んだ、これにあった経済の仕組みを作るということです。具体的に行ってきたのは、グローバル化に併せてFTA(経済自由貿易協定)を進めようとしたり、あるいは対日直接投資を増やすために、法人税率を引き下げようという努力をしたり、高齢化に対応して社会保障制度を改革したり、地方分権を進めたりと、そういう改革を包括的に実施しようとしてきました。


川村

改めて構造改革の政策的意義はどういう点にあったのか、もう一つはあの構造改革は成功したものだったのか、ご自身からご覧になってどうでしょう?

大田

構造改革の意義は、日本の持っている強みを一番活かす仕組みを作ろうとすることです。日本は優れたリソースを持っていて、豊富な金融資産もある、均質な労働力もある、技術力もある、厚みのある文化もある、さらには清潔で安全な街もあります。いろいろな資源を持っていますが、グローバル化と高齢化に対応しないままではこういう資源は活きてきませんから、経済環境の変化に合わせて国内の仕組みを変えていかないといけません。しかし、これは容易なことではありませんでした。バブル崩壊後に、日本は公共事業で経済を支えてきましたから、いつの間にか政府依存型の経済ができていましたし、膨大な財政赤字もできていました。小泉内閣で、やっと政府依存型の経済をやめ、不良債権処理を完全に終了させ、財政改革にも着手したわけですね。遅まきながらも、このような改革に着手し、不良債権で水面下にあった経済を水面上に持ってきたわけですから、小泉構造改革は成功だったと思います。私は、その後に大臣になりましたから、今度は成長できる経済にすることが私の役割だと思い、すぐ成長戦略作りに取りかかりました。しかし、その頃日本の国会は、小泉改革への批判一色でした。経済危機が収まると、政府依存型の経済で潤っていた人たちが昔の状況に戻そうとするわけです。特に私は、経済財政諮問会議という小泉首相が改革の司令塔にしていた会議を担当していましたから、国会では攻撃の的になりました。


構造改革は4、5年でできるものでなくて、10年、15年も取り組まなければいけないものだと思います。どの国だって構造改革なんてやりたくありません。変わるのはみんな嫌です。それでも世界経済が変わればそれに合わせて変わらない限り、国内で雇用を作り出していくことはできません。安倍内閣当時は、確かに、地域経済が振るわない、労働所得の格差が拡大するといった問題が出てきていましたが、それを全部構造改革のせいだと位置づけたところに大きな問題があったと思います。グローバル化の中で、あるいは人口が減る中で問題をどう解決するかという本格的な議論にはなりませんでした。元に戻せばうまくいく、つまり、格差を生み出した構造改革が悪いのだから元に戻せばうまくいくという声が出てきて、結局それが民主党への政権交代へと繋がり、今では構造改革という言葉すら聞かれなくなってしまいました。したがって、成功だったかと訊かれれば、まだ途上に過ぎません。いまだに90年代に世界経済が経験した大きい変化に適合できないまま失われた20年になってきていると思いますね。


薛軍

ベルリンの壁崩壊後、旧ソビエト、東欧の改革は失敗しましたが、鄧小平の改革は大成功しました。日本の構造改革の経験も、やはり中国は参考にしないといけないと思います。中国は、外資の導入による政策が成功しました。ところが既存の分野を改革しようとしたらなかなか壁が厚くて、乗り越えられない状態です。中国は今年から第12次五カ年計画がスタートしますが、従来の計画の成長分野を守りながら発展させるというキーワードから、今回は産業構造をチェンジさせながら持続的成長を維持しようとしています。日本の経験を踏まえていかがでしょうか。

大田

改革するときには、そこを壊すだけではなくて新しいものを産み出さなければなりません。構造改革には既得権を持っている人だけではなく、やはり普通の人も不安になります。したがって、それらの人々の雇用を作り出していくことが非常に大事だと、私は反省の念を込めながらそう思っているのです。


スウェーデンのヌーデル元財務大臣が昨年来日され、ソーシャルブリッジという政策プログラムを説明されました。スウェーデンは小さい国ですから輸出で生きていくしかなく、グローバル化を全面的に受け入れることが成長の道です。しかし、グローバル化を全面的に受け入れるとその中で生きていけない企業は退出していくしかありません。そのときにヌーデルさんが言うには、競争力のない企業は守らない、業界も守らない、しかしそこで働いている人は守りますと。つまり、労働者が新しい職場に移れるように、職業訓練、社会保障、教育、そういうものを充実させる、そのパッケージがソーシャルブリッジです。働いている人が他に移れるようにして安心して改革に賛成できるようなメッセージ、これが必要だとつくづく思います。


中国の第12次五カ年計画は、非常にいい構造改革のプランだと思います。構造改革とは、先ほど申し上げたように、それぞれの国の持っている強みが存分に活きるような仕組みを作っていくということですが、中国の場合の強みは大きい消費市場、マーケットです。しかし、今のように貧富の格差が大きいとなかなかその強みは発揮できません。したがって、構造を変えていく、特にサービス産業を強くしていくことで、今第一次産業で4割働いている人を第三次産業にシフトさせ、全体の所得水準を上げていこうと。しかもそれによって中国のもうひとつの欠点である投資主導経済、投資の比重が日本の高度成長期よりも高いのですが、それを消費主導の安定した経済構造に変えていこうと。併せてエネルギー効率を高めてエネルギー制約が大きくならないようにしていこうという、非常によくできた構造転換のメッセージです。新しく移っていく先、産業構造の転換と併せて雇用構造の転換を一緒に進めていくという意味でいいプランができました。これがしっかりとこの5年間で実行できれば、中国経済は新しいステージに力強く歩いていけると思います。


川村

日本は「失われた20年」に病んでいると言われていますが、本当に失われたのでしょうか?東日本大震災後、とくに岩手県などの被災地復興への足取りは力強いと感じていますが?


大田

日本企業の現場が持っている力はとても強いですね。大震災で如実に発揮されました。しかし、全体として日本経済は3つの弱みを抱えています。一つはグローバル化への取り組みが遅れていること、それから二番目は生産性が低いことです。特に、サービス産業の生産性が低いままです。三番目は高齢化で人口が減っていくのに、人材が活かされていないことです。いまだに女性が働きながら子育てする環境はできていませんし、高齢者の働く場がありません。この三つの問題は90年代に起こった大きい変化、劇的なグローバル化と国内での高齢化、これに適合した仕組みがまだ作られていないというところからきています。バブルが崩壊した後の20年間の平均成長率は0.8パーセントです。ただ、これらの弱みを克服することは十分に可能ですし、今から実行すれば間に合います。何をすべきかの処方箋はわかっています。問題は実行できるかどうかです。日本経済は、もっと柔軟性を発揮して変わっていかなくてはなりません。

薛軍

社会の中で女性の活躍が圧倒的に少ないですね。女性議員とか女性の社長とか、中国と比べると本当に少ないです。これから、少子化にともなって女性の地位が本当に高まっていくのだろうかと思います。


大田

私はあるときから急速に変わると思います。日本の戦後の雇用システムは、企業の中に入っている人は守られるけれども、その外にいる人には不利な仕組みでした。中途採用はほとんどありませんでしたから、新卒で正社員として企業に勤められないとその後の就職が難しくなる。また、女性が出産や育児で退職すると、その後は就職先を探すのがとても難しくなる。したがって、日本型雇用の仕組みの中では、女性は子育てか仕事かの二者択一を迫られ、キャリアを積み重ねることが難しかったわけですね。いまは育児休業制度もできて、状況は少し改善していますが、依然として子育てしながら働く環境は十分にできていないし、女性が存分に活躍するには不利な状況が続いています。


川村

雇用のM字カーブがありますね。アメリカは、1950年代にはまだM字カーブがなくて、専業主婦が代表的な中産階級の主婦の姿でした。それが劇的に変わっていきました。社会構造の変化とともに、国のカルチャーとしてイコールパートナーとして異性を見るカルチャーとそれが苦手なカルチャーがあるのではないかと思いますが。


大田

若い人の意識はもう急速に変わってきています。女性がもっともっと活躍するためには三つのことがどうしても必要で、一つは保育サービスを大きく増やすことです。二番目は、育児休暇をとった後、会社に復帰したときに柔軟な働き方ができること、そして三番目は夫が育児をサポートできるように、男性の働き方も柔軟になること。女性だけでなく男性も「ワーク・ライフ・バランス」が必要ですね。


川村

ところで、さきほど東日本大震災の話をいたしました。果たして日本は復興できるでしょうか?


大田

単に復興するのでなくて復興した後がどんなかたちになるかが日本経済の将来を左右すると思います。先ほど申し上げた三つの弱みがありますから、今回の復興でこの弱みを克服する突破口を何とか作っていくことが必要です。例えば、被災地では農業や漁業が非常に中心的な役割を担っていましたから、ここに風穴を開けて、国際競争力を持てる農業や漁業にしていくということですね。これは本当に抵抗が強いのですが、これが出来るかどうかが日本経済の将来を左右します。ただ、日本人は危機感さえ持てれば非常に柔軟性と強みを発揮する国民です。大震災後の危機感を、決して無駄にしないで、日本経済の弱みを乗り越えていくバネにできれば、私は復興できるし、新しい成長の糸口もつかめると思います。

薛軍

中国が日本の失敗や経験から学ぶべきところがあれば是非教えていただけませんか。


大田

政策は、それを導入するときよりも、環境が変わった後に廃止したり変更したりすることが難しい。その政策のもとで、既得権ができてしまいますからね。成長の過程で日本が導入した政策に、例えば財政投融資があります。郵便貯金でお金を集めてそれを公共事業などの投資や中小企業への融資などまわしていく仕組みです。これは仕組みとしてはよかったのですが、それがいつの間にか産業界と政治の関わりをつくり、既得権を生み出して、改革には強い抵抗がありました。だから、失敗から学ぶといった時に、さまざまな制度や政策をどこかの時点で変えなくてはいけなかったのになぜ変えられなかったのか、ここはよく研究して学んでいただきたいと思います。


特に中国では、日本と同じで急速に高齢化が進みます。2030年には人口がピークアウトすると推計されています。人口構造が急速に変わる中で社会保障制度をどんな具合に設計し、経済環境が変わった時にそれをどう修正していくのか、これは大変に難しい課題です。社会保障制度が充実していないと厚みのある消費はできません。しかし、社会保障制度にみんなが保険料を払うように理解を求め、きちんとした制度をつくり、なおかつ高齢化が進んでも制度を持続させていくというのは、どの国も苦労している課題です。日本の社会保障制度は高度成長期の1960年代にそのかたちができて、それなりに充実した制度ですが、成長率が落ち、人口構造が高齢化した後で、変えなければいけなかったのに変えられませんでした。なぜかというと、高齢者は給付金の切り下げは嫌だし、負担が上がるのも嫌です。しかし、将来世代にとってはそれを実施しないと制度は持続可能となりません。


川村

日本の経済というのは格差をボトムアップすることによって発展してきました。中国は高度成長を長く続けてきたのに、むしろ格差の問題が広がってしまっているという悩みがあると思います。その辺りのアドバイスがおありでしたらお聞かせください。


大田

所得を上げて消費の厚みを作っていくということ、これは第12次五カ年計画で取り組まれていることで、まさに政策の方向として正しいと思います。格差に関連して大事なことは、たとえ格差があったとしても、自分が今所得は低いけどもいずれ高くする可能性が開けているという、低所得から高所得への移動可能性というか、その希望を呈示できるかどうかです。今の日本にある大きな閉塞感のひとつは、学校を卒業した時に正規社員でなければその後も正規社員になるのは非常に難しいというところから来ています。若者が将来の自分の仕事や所得の展望を持てないわけですね。中国は、今都市と農村との間の垣根を低くする政策を採っていますね。自分も努力すれば豊かになれるという可能性が開かれた社会が大事ですし、日本も可能性が開かれた社会を目指すべきです。言葉を変えれば若者が夢を描ける社会の実現です。これを日本はもう一度考えなければなりません。


川村

日中関係は、基本的にはものすごく近い仲といえます。今後ますます、日本と中国の関係をお互いに実り豊かにするためにどういうことをすればよいでしょうか?


大田

なるべく緊密な関係を、点ではなくて面でいろんな形で持っていくことだと思います。今の私たちがいろいろなかたちで、大学レベルであったり、ビジネスレベルであったり、あるいは旅行者であったり、いろいろなかたちで作っていくことです。今回の被災地でも中国の方がたくさん働いていて、日本にまた戻ってきてくれた方もいる。一方戻ってきてくれなかった方もいる。だからこれはまた戻ってきてくれるような関係を作っておかなければいけなかったわけですね。本当にお互いに大事な国同士ですから、いろいろなかたちで関係を強めていくことです。それから、政策面ではFTAを結ぶことが重要ですね。ASEANや韓国を入れた形でもいいですから、日本と中国のFTAを結ぶ。これを是非、進めていきたいですね。


川村

今日は大変勉強になりました。ありがとうございました。


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