高いマーシャルのKが示す中国経済の問題

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(突出して高い中国のマーシャルのK)

中国では、改革開放が始まってから今日までの約30年の間、実質GDPは年平均10%程度の成長を達成してきたが、マネーサプライ(広義)は、それを大きく上回る年平均17%以上の伸びを示してきている。マネーサプライの名目GDPに対する比率(マーシャルのK)は、2000年代半ば1.5-1.6と横ばいで推移した他は趨勢的に上昇しており、特にグローバル金融危機の2008年以降急上昇し、2010年には1.8(すなわちGDPの1.8倍の貨幣ストックが存在)を記録している。日米欧の同比率も、金融危機後中央銀行が積極的にマネーを供給したため、近年上昇傾向にあるが、水準としては概ね0.6-1.0の範囲で、中国は国際的にみても突出して高い(1980年代後半の日本のバブル時は1.2程度)。

(背景には国内要因と国外要因がある)

経済成長率を上回るマネーサプライ増加が続いている要因としては、国内要因と国外要因がある。国内的な要因として第一に挙げられるのは、改革開放以来、経済の市場化、金融の深化が進み、より貨幣が必要とされるようになったことである。ただ中国人研究者は、それに加え、伝統的に経済成長率目標が過度に重視されてきた結果、マネーサプライ増加による金融刺激を通じて、投資主導によって経済成長目標を達成しようとする傾向が強かったこと、さらに、大型国有企業、国有銀行、不動産開発業者といった利益集団が、困難な状況に陥るたびに、政府に拡張的金融政策を採らせて、彼らを救済させようとしてきたことを指摘している。これは、別のある著名な中国人学者が、中国経済が陥る(リスクのある)本質的な問題としている、広義の意味でのクローニー資本主義に通じるものであり、また金融政策が真の意味での独立性を持っていないと言い換えることもできる(*)。何れにせよ、こうした要因から、中国では、マーシャルのKのトレンド線自体が急勾配を示してきた。

(*)金融政策を担当する人民銀行は、国務院(内閣にあたる)の構成組織で国務院から独立しておらず、もとより西側諸国で通常言われるところの「金融政策の独立性」は付与されていない。

他方、2008年以降の急増は明らかにこのトレンドからも乖離しており、これには国外要因が大きく影響している。即ち、グローバル金融危機を受け、米国がQE1,QE2と呼ばれる金融緩和策を採り、世界的にドルが潤沢に供給される一方、中国では、人民元相場の急激な上昇を抑えるための人民銀行の為替介入が、外貨準備の急増と同時にマネーサプライの急増をもたらしたものだ。中国の状況は、伝統的な経済理論に依拠しても、ある程度説明可能である。即ち、伝統的な貨幣需要関数では、貨幣への需要を主に取引需要と投機的需要に分け、前者はGDP、後者は利子率に依存するとされるが、中国の場合、GDPで説明できる一般的な取引需要以外の要因が大きく、特に近年の実質マイナスの金利水準が投機需要を誘発しているとも言えよう。

(無視できない所得格差への影響)

成長率を超えるマネーサプライの増加は、全般的な価格の上昇を招き、その結果、庶民の給与や貯蓄は実質ベースでは目減りする一方、名目成長率の上昇は政府の財政収入の増加につながっている。いわゆる政府の「先富起来」(政府が先に豊かになる)である。また過剰流動性が、不動産等への投機、「バブル」の発生を招来していることは言うまでもない。

最も注意すべき点は、その所得格差への影響である。マネーサプライ増の受益者は、国有企業、地方政府、および富裕層と元来投機志向の強い層、他方で不利益を受けているのは、政府を信用して堅実に銀行貯蓄を行ってきたが、その目減りに耐えかねて、株等への投機を始めた層である。国有企業は、私企業に比しはるかに融資が受けやすく、また地方政府も地方投資会社(平台)を通じて債務を積み上げ、開発業者とともに不動産高騰の利益を享受している。何れも、低金利と、インフレ下での名目債務の目減りで恩恵を受けている。富裕層や投機志向の強い者は、株式市場や不動産市場が過熱する前から市場に参入して利益を享受しているが、一般の堅実な庶民は、過熱し始めてからの参入で、あまり利益は得ておらず、むしろ「バブル」崩壊による損失リスクを抱えている。中国内では、バブル的状況の中で、人々が一攫千金をねらい健全な労働意欲を喪失し、また貨幣価値の安定を保証しない政府に対する不信感が増幅するなど、人々の意識レベルへも深刻な影響が出てきているとの指摘もある。マネーサプライ増加率やマーシャルのKは、いずれもそれ自体は、言わば技術的な経済指標という性格を有するが、それらが高目に推移してきた背景には、中国特有の社会的要因があり、またその影響は単なる経済面に止まらず、現下の中国の最大の問題である所得格差や、政府に対する一般庶民の不信感といった政治社会問題にまでつながっている点は看過し得ない。

7月5日付中国証券時報は、2000年代に入り、金融深化の要因によるマーシャルのKの上昇は弱まってきているが、貿易黒字を背景とした外貨買取り見合いの人民元供給という要因が強まって(注:黒字による外貨流入⇒人民元相場上昇圧力⇒相場上昇圧力抑制のための外貨購入と人民元供給⇒外貨準備の急増とマネーサプライの増加、というルート、上述の国外要因)、同比率は2000年以降も引き続き上昇していること、しかし2009年がピークで、今後は貿易黒字の縮小に伴い(第12次5ヵ年計画での内需主導型への成長モデル転換を前提)、同比率も(同時報が言うところの)「正常値」の1.2程度にまで下がってくると予測している。実際、2010年からの金融引締めを受けて、マネーサプライの増加率は、2009年27.7%とピークを打った後、2010年は18.9%、2011年上半期15-17%程度へと鈍化している。ただ、なお名目成長率をやや上回る勢いではあり、マーシャルのKはなお上昇している。仮に5ヵ年計画の想定通り、貿易黒字が縮小し、中国として人民元相場の柔軟性もより高めていくことになれば、2008年以降見られている、マーシャルのKのトレンド線からの乖離という現象はなくなっていこう。ただ上述のように、金融政策が既得権益グループによって左右されるような状況を改善していかなければ、急勾配のトレンド線自体を諸外国並みにしていくことは難しいだろう。言い換えれば、マネーサプライやマーシャルのKが今後どう推移することになるのかは、健全な金融政策が行われるようになったのか、所得格差という現下の社会問題が少しでも改善の方向に向かっているのかを測る物差しでもある。

M2/名目GDPの推移
(注)赤いラインがマーシャルのK, 黒いラインがトレンド線を示す。
(資料)中国国家統計局、人民銀行統計より筆者作成

M2,GDP,CPI伸び(%)
(資料)中国国家統計局、人民銀行統計より筆者作成


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