援助国と被援助国という二つの顔を持つ中国

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中国が国際舞台で、先進国(超大国)と途上国、あるいは援助国と披援助国という二つの相反する立場を巧妙に使い分けることは、しばしば指摘されている。

(急増する資源途上国への援助)
1月18日付ファイナンシャル・タイムズ紙によれば、2009年から2010年にかけて、中国開発銀行と中国輸出入銀行が資源を有する途上国の政府や企業に供与した融資額は、少なくとも1,100億ドルにのぼり、同時期の、金融危機を受けて途上国支援を強化した世銀の融資コミット額、約1,000億ドルを上回った。同紙によれば、2008年金融危機で、資源国企業が国際的に融資を受け難くなったことが、中国に融資を増やす機会を提供し、またもっぱら西側先進国市場への輸出に依存する成長体質を変えようとする中国の戦略にも合致したということである。融資条件は基本的には世銀等に近いが、一部政治的案件ではそれよりも有利な条件を提示している旨である。

他方、中国は国際援助機関からなお、途上国として開発援助を受けている。2008、2009年でみると、世銀からの新規融資額は、各々15.5億ドル、23.8億ドル、ADBからは、17.5億ドル、19.5億ドル、世銀。ADB合わせると、総額で76.3億ドルである。単純に関係付けるのは必ずしも適当ではないが、カネに色は付いていないとすれば、規模的には、中国が途上国に供与している援助のおよそ7%程度は、自ら国際社会から受けた援助資金で賄われていることになる。ただ、中国に対する援助機関の融資は基本的には通常融資で、ADBのアジア開発基金(ADF)のような譲許性の高い融資は受けていないので、利ざやを抜いているということにはなっていないと思われる(中国も、全くそうしたことは念頭にないだろう)。しかし、世界第二位の経済規模で、2兆8,500億ドルにのぼる世界最大の外貨準備を有する国が、他方でなお援助を受ける側にもあるというのは、常識的には奇妙なことだ。

(借入国としての中国-その背景は?)
中国にとって、上記の国際援助機関から受けている融資は、中国にとって経済的にはほとんど意味はなく、援助機関の援助から「卒業」しても、その経済発展に対しては何の影響もないだろう。また、援助を受けていると、援助機関から政策面での対話を要求されることにもなり、中国からしてみれば、厄介でもあろう。にもかかわらず、今の中国にとってみれば微々たる援助を受け続けている大きな理由は、「途上国」としてのステータス確保であろう。中国は、気候変動などの問題も含め、様々な局面で巧妙に「先進国」と「途上国」の顔を使い分けており、このために、国際援助機関から援助を受けることは、「途上国」としての立場を国際的に認知させるために不可欠である。また、国際援助機関の中で、いわば途上国のリーダーとしての役割を担い、数で言えば世界でなお圧倒的に多い途上国を味方につけ、それが他の様々な局面で役に立つという読みである。援助機関の側からすると、「卒業政策」で援助適格基準と示される一人当たりGDPなどの客観的指標が満たされていれば、簡単に卒業というわけにはいかず、周知の通り、中国は一人当たりGDPではなお低水準だ。

また、援助機関やドナー国は、援助を続けていることにより、最低限、内政干渉に敏感な中国にも、経済政策面での対話をするきっかけになる。さらに、援助機関にとって、そもそも借入国があるということは、自らの存在にとって重要なことでもある。しかし、多くの先進国の財政状況が逼迫し、それを受けて国際援助機関の資金総額も簡単には増やせない現状では、確実に中国に向かう資金の分だけ、真に外からの援助を必要としている最貧国に向かう援助が削られざるをえないことは事実である。限られた援助資金で、どうすれば最大の開発効果を挙げられるかは、世界全体で真剣に考えられるべきだろう。

(援助国としての中国-援助外交の特徴と問題点、今後の課題)
他方、援助国としての中国についてはどうみるべきか。資源外交とのからみで、にわかに、中国の途上国への援助が注目されているが、実際には、建国以来、中国は長く対外援助を行ってきた。その特徴は、次の3点に要約できる。
(1)世銀等に代表される国際的な枠組みの外で独自に行ってきていること、
(2)被援助国に対する内政不干渉、主権尊重
(3)援助が中国自身の利益にも資すること(互恵原則)

これら中国の援助の特徴には、ある意味学ぶべき点もある。たとえば、上記(3)に関しては、日本は長らく援助に関し、それを外交カードにする、あるいは国益につなげるという発想はあまりなかった(というより、自制していたというべきか)。しかし、2003年8月にODA大綱を全面的に見直し、その冒頭で「我が国ODAの目的は、国際社会の平和と発展に貢献し、これを通じて我が国の安全と繁栄の確保に資すること」(太線、筆者)と、単純に言えば、対外援助も国益につながる必要があることを明記した。直接的には、国内の財政事情の逼迫といった背景が大きかったと思われるが、画期的なことであり当然でもあったと言えよう。最近になって、中国の資源・援助外交にも触発されてか、名実ともに、日本もようやく官民挙げて、援助とのからみでも国益を考える動きが見えてくるようになった。日本の場合、それができる政策的基礎は、実はこの7年前に改定したODA大綱だ。

他方、いくつかの問題も浮かび上がってきている。上記(2)「内政不干渉、主権尊重」は、西側援助国からすれば、この原則は、中国が(西側からみれば問題のある)体制を支援するひとつの言い訳になっているとの見方もあるが、中国からすれば、西側援助国とは違った形で援助し多くの途上国を味方につけることと、中国が援助で何か覇権のようなものをねらっているわけではないことを、対外的に明確にするということだろう。ただ、この点については、状況はそれほど簡単ではなくなってきている。たとえばスーダンの石油開発プロジェクトでは、中国が最大の投資国となっているが、スーダン南部の独立問題など、その内政に全く関与しないということでは済まなくなってきている(スーダン石油の80%は南部、しかし積出港は北部、輸出先の大半は中国自身という状況で、中国としてどうするのかという問題)。ミャンマーやパキスタンでも、中国の現地での権益を安定的にするためには、その内部の宗教・部族対立から超然としているわけにはいかなくなっていると聞く。中国が今後、こうした状況に対し、「内政不干渉、主権尊重」という原則をどうしていくのかは要注意だ。いずれにせよ、中国が意図していないにしても、時に独裁国家等統治上問題のある政府を、結果的に支援することになる場合があり得る。

上記(3)互恵原則から、当然、融資が基本的にひも付きとなり、融資プロジェクトとともに大量の中国人労働者が移住し、地元社会との摩擦が生じているということも、最近しばしば伝えられている。この点についても、程度の差はあれ、また望ましいかどうかは別にして、そうした傾向が世界的に強まっている。援助は慈善ではなく国益を考える外交でもあるべきだが、やはり貧しい国を助けるという、単純な倫理観に裏打ちされたものでもなければならないと思う。現地国との融和をどう図っていくかは、常に考えなければならない課題だ。

西側先進国は、彼らが主導して設立した多国間の援助機関とともに、通常、被援助国毎にドナー会議のような枠組みを作り、そこで援助戦略の調整(所謂donor coordination)を行っている。援助が重複したり、違う方向での戦略で援助が行われて、開発の効果が阻害されるということのないようにするためであるが、中国は、上記(1)の通り、そうした枠組みの外で独自に援助を行ってきている。中国が一大援助国になりつつある状況下で、他のドナーとの調整をどう進めていくのかは、益々重要になってきており、そのためにも、中国も含め、各国は援助を外交戦略の一環としつつも、途上国の発展を支援するという援助の本来の目的について、認識を共有していくことが不可欠ではないか。


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