中国経済を見る戦略キーワード(4)

中国社会の不透明性

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私企業には‘玻璃門’と‘弹簧門’という二つの関門

中国経済において、民間部門を拡大させることは、1990年代から政府の明確な方針になってはきているが、現実には、逆に国有セクターが拡大し民間セクターが縮小する国進民退の現象が生じていると言われている(2013年3月1日リサーチレポート「中国新指導層は「国進民退」を改革できるか」)。以前から、民間資本は様々な産業分野に参入するにあたって、二つの関門に出くわすと指摘されている。第一は玻璃門、すなわちガラスの門である。2005年の「非公経済36条」に基づき、法律に明確な規定がある場合を除き、いかなる領域へも民間資本の参入は自由で、関係行政部門はそれを禁止する措置を採ってはならないとされているが、実際にはなかなか民間資本は参入できない。明らかに目に見える障壁はないにもかかわらず、実際に通過しようとすると、ガラスにぶちあたって入れない。次に弹簧門、ばね状の門で、中国では公共の場所の出入口や非常通路によく使われている。民間資本がやっと参入しても、ちょっと油断をしていると、すぐに跳ね返され押し出されてしまう。主として玻璃門は民間資本が最初に投資する段階の見えない障壁、弹簧門は投資後、民間資本が挤出効応(クラウディングアウト)される現象を指して使われるようだ。誰でも入ることができるはずの公共場所への入り口で、かつばね状の門というところが面白い。いずれも、国有企業と私企業が平等な扱いを受けていないこと、またそれが不明朗な形で行われていることを示す。2011年3月の両会(全人代と政治協商会議)後の記者会見で、温家宝総理自ら、このふたつの門に言及している。


社会主義市場経済を標ぼうする中国において、私企業の役割をどうとらえるかは、歴史的にも大きな議論になってきた。現在、基本的な考え方としては、安全保障等一部の基幹的な領域は引き続き国有セクターとし、それ以外では私企業が発展する公正な競争環境を作るべきという方向であり、この点は、昨年11月開かれた第18回党大会における胡錦濤総書記(当時)報告でも確認されている。国有セクターと民間セクターは你退我、すなわちどちらかを発展させ、どちらかをなくすということではなく、条腿走路、両者を車の両輪として走らせるべきとされる。こうした考え方自体は、通常の市場経済国家と実はそれほど大きな違いはない。しかし、ふたつの門で表現されるような不明朗な障壁があるとすれば、それを改善することが、中国当局が以前から主張している「市場経済国家」として、国際的に認められる必須条件ということになる。

影子銀行は黄信号を急いで渡る車?

中国でも昨年来、影子銀行と呼ばれる、いわゆるシャドーバンキングの野蛮生長(急成長)が注目されている(2013年2月1日アジアンインサイト「急拡大する中国のシャドーバンキング」)。様々な通常の銀行業務に関する規制や指標を逃れる過程で形成されてきた影というわけである。中国では、没有影子銀行、就没有市場経済(影子銀行がなければ、市場経済もない)と言われるように、実は積極的評価が多く聞かれる。ところで、これは中国語の一般的な構文だが、かつて没有共産党、就没有新中国という表現で、一般の人々になじみのあった構文である。1949年の10月1日(現在の国慶節)、中国共産党が中華人民共和国を設立したことを讃えたものだが、現在の中国、特に若い世代には、こうした感覚はあまりないかもしれない。影子銀行は、市場と規制監督間の駆け引きの中で、既存の規制を突破しようとするひとつの金融創新(金融イノベーション)現象であること、中国が金融脱媒(銀行等仲介業者を介さないで行う直接金融への移行)の過程の中で、また金利市場化や経済発展モデルの転換において関鍵時期(決定的に重要な時期)にある中で、影子銀行は金融発展を促す自下而上(下から上へ向けての、ボトムアップの)改革の原動力というわけだ。


他方、期限錯配(短期の資金を調達し、それを長期の運用に回している)等、次第にその風険(リスク)を懸念する声も高まっている。影子銀行擦辺球(ぎりぎりの球を投げる、すなわち違法すれすれの行為)という点で、闯黄灯(道路で黄信号の時に、車が急いで通過すること)に似ているという論者もいる。影子銀行擦辺球であるだけに、そのリスクもより大きい。2012年末以来、いくつかの違約案件が出始めたとの情報もあり、リスクはすでに現実のものとなっているが、亡羊補牢、未為晩(遅)也、羊が逃げてから囲いを補修しても、それ以上の損失を食い止めることができるという意味で遅くはない、早くリスク対応の政策措置をとるべきだとの指摘が出ている。鉆空子(抜け穴を利用すること)を不必要に恐れて、擦辺球をすべて厳格に取り締まると、金融創新が滞るのではないかという懸念との綱引きが見られる。


影子銀行の問題は、影ということから、月の下でひとり、月に照らされた自らの影と一緒に酒を飲む粋人を詠った李白の有名な詩、月下独酌を想起させるとの指摘もある。量化寛松(量的緩和)政策で酒(マネー)をつぎ込み、サブプライム問題、グローバル金融危機が生じたのは、李白の詩で詠われているところの、醒時同交歓、酔後各分散(しらふの時は揃って楽しんでいても、酔いがまわると勝手気まま)そのものというわけだ。かつて日本の高度経済成長期に、「花見酒の経済」という用語が流行ったが、少しそれにも似ている。影子銀行のリスクを増大させている要因として、適切な規制監督が必ずしも行われていないことが挙げられている。しかし李白の詩では、挙杯邀明月対影成三人(杯を挙げて明月を迎え、影に対して三人を成す)となっており、明月(管理監督)があって初めて影が見えるようになる。明月がない状況で、影子銀行は規制を恐れる必要はない、身正不怕影子斜(わが身が正しく立っていれば、影が斜めになっていても何を恐れる必要があろうか)と皮肉気味に捉えられている。


中国の影子銀行が注目され始めたひとつのきっかけは、2011年秋に温州で生じた中小企業の相次ぐ夜逃げ・倒産によって、アンダーグラウンドで個人等が高利で中小企業に貸している民間借貸の実態が明らかになってきたことである。これを受けて現在、「温州金融改革試験区」を梃子にその陽光化(民間借貸を地下から地上に出して、適切な管理監督の下に置くこと)を目指している。さらに地下銭庄、地銀行(地下金融)との関係では、参入規制、業務規制、監督当局がないという三不管の状態にあると言われているネット上での個人間の金融の急拡大を、今後どう規制監督していくのかも重要な政策課題となっている。これは、P2P網絡借貸平台(peer to peer、人人貸ネットと呼ばれているもので、その取引量はなお全体からみれば小額であるが、2011年60億元から12年には300億元と急拡大しており、12年末の残高は低く見積もっても100億元以上はあると見られている。三不管状態を放置したままだと、容易に地下金融になるおそれがある(あるいはすでになりつつある)との認識が高まっている。

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