筆者がロシア極東の街ウラジオストックで働いていたのは、1990年代の半ば、ソ連邦が崩壊して数年が経過したばかりの頃である。某プロジェクトでナホトカの精肉工場を頻繁に訪れたのだが、ウラジオストックからナホトカへは車で片道4時間。悪路での長時間の移動は、心身ともにこたえた。


ある日、いつものように車を4時間走らせ、その工場へ辿り着いた。社長との面談が予定されていたが、当の本人がどこにも見当たらない。訳を尋ねると、「社長は緊急事態が発生したので急遽外出しました。本日のミーティングはキャンセルです。」との返答。その会社には取締役が数人いるのだから、その内の誰かが「緊急事態」に対応してもよさそうなものだが、それは望むべくもない。ロシアでは経営上の些事と思われるようなことでも、必ず社長自らが現状を実見し、社長自らが決断を下すからだ。


はるばる4時間もかけて来訪した我々を気遣い、取締役の誰か一人が社長の代わりに商談に応対してくれてもよさそうなものだが、その気配すらない。仮に取締役クラスが出てきたところで、社長不在では商談は全く前に進まないことが分かっていたから、その日はそのままウラジオストックへ引き返した。


話は飛躍するが、ロシアの現代以前の歴史を概観すると、大きく3つの時代に区分できる。一つ目は、ロシアの国体が未だ脆弱であった頃、モンゴル=元の侵攻を受け、その支配下にあった時代(いわゆる“タタールのくびき”の時代)。二つ目は、絶大な権力を持つ皇帝とごく少数の貴族が、圧倒的大多数の民衆を支配してきた時代。三つ目は、共産党一党独裁による社会主義の時代。このように、ロシア人は絶えず“絶大な力”の支配下にあった。彼らを「虐げられた民」と呼ぶこともできよう。しかし、一方でロシア人は、“絶大な力”のもとで生活を営むことに計り知れない安堵感を覚える体質を備えた国民となったのでは、と指摘することもできる。


この点については、ゴルバチョフと、エリツィン、プーチンを比較するとより明瞭になる。冷戦を終結させたゴルバチョフは20世紀の偉人の一人であろうが、ロシア国内ではおそろしく人気がない。おそらく彼が標榜した「自由」、「協調」なるものが、ロシア人には生ぬるく浮薄なものとして感じられたのであろう。一方で、エリツィンとプーチンが相対的に高い支持を得たのは、両者の中に権力と強さを見て、ロシア人が安堵感を覚えたことが大きな理由ではないか。


袴田茂樹教授が指摘している通り、かような歴史を辿ってきたロシア人は、西欧や日本が経験したような「自由で自律的な市民社会」というものを体験しなかった。市民社会では、市民が「自由」に経済活動を行えるが、ルールを破ったものに対しては、市民自らがペナルティーを課す(次回からは商売の仲間に加えないなど)。つまり、「自律的」な社会である。国家や権力が放っておいても、市民の経済活動・社会活動は、ある程度成り立つのである。


一般に西欧、米国、日本の企業では、権限分譲を進め、現場社員の判断の裁量を広げた方が、経営が効率的・効果的になると考えられている。これは、過去の歴史において「自由で自律的な市民社会」というものの成功体験があるからであろう。一方、絶えず“絶大な力”が頂点にあったロシアでは、常に権力と強さを求めたがる。国家運営においても同様で、ナホトカの精肉工場のような中小企業経営においても例に漏れない。企業経営は権力集約型(つまり“ワンマン経営”)でないとうまく行かず、経営幹部も従業員の側も、そうしたワンマン経営に安住の感すら覚える。


他方で中国の企業経営では如何であろうか。『我が国中小企業の中国事業に係るリスク管理向上のための調査研究(中小企業基盤整備機構)』という興味深い報告書がある。成功事例の紹介の中で、「重要事項の最終決済や出金承認など企業経営上の重要なポイントは、すべて総経理と右腕となる財務部長に権限を集中し、不正などに対する牽制を行うこと」との記述があり、このような経営スタイルを‘中国の老板方式’と称している。老板(lao ban)とは、平たく言えば中国語で「ボス」の意である。ボスの力が強いほど経営がうまくいくという訳だ。


中国の長い歴史を振り返ると、商品経済が沸騰した時代が幾つかあったようだ。当然に上述の「自由で自律的な市民社会」も経験してきたと想像されるが、現代の中国の企業経営に関しては、存外、権力と強さを兼ね備えた人物が組織の中枢に座っていた方が、あらゆることが首尾よく進むようだ。中国の企業経営の奥底に、ロシアの経営と同質のものを見る思いを禁じえない。

参考文献

  • 『プーチンのロシア 法独裁への道』 袴田茂樹
  • 『平成20年度 我が国中小企業の中国事業に係るリスク管理向上のための調査研究 報告書』 独立行政法人 中小企業基盤整備機構


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