経済学への違和感と無意識

2005年2月23日

ノーム・チョムスキーという人物をご存知だろうか?彼は理論言語学の権威で、生成文法を提唱した人物である。生成文法とは、生得的に人間が脳の中に持つ言語ルール(文法)のことで、彼によると、従来の学習による言語習得では人間が幼児期に爆発的に言語を習得していく事実を説明できず、生得的に人間の脳の中に持つ文法(生成文法)を仮定しなければ、実際に見られる言語習得過程は説明がつかないとした。当時はこの考えに対する批判が多かったそうだが、現在、fMRI(機能的磁気共鳴断層撮影装置)や光トポグラフィーなどの最新の技術を駆使した脳研究では、チョムスキー理論の正しさが証明されつつあるそうである。

ルールは人間の脳にあるが、そのルールを私たちは意識して使っているわけではない。こうしたルールの無意識性が、経済学が大きな誤解を生む一因となっているのではないかと、私は最近考えている。

経済学の仮定する人間像はホモ・エコノミカスと呼ばれ、超合理的・超自制的・超利己的な人間像を仮定し、制約条件下における人間の経済行動を分析していく。私自身はこうした仮定にはそれほど批判的ではない。こうした大胆な人間観は、複雑な人間行動にアプローチするための意図した単純化であり、本質に近づくための一次接近と言えるからだ。実際、社会における人間の心理過程や行動原理を明らかにする社会心理学でも、これに似た仮定に基づいた結果、人間行動をうまく説明できるとの報告もある。また、生物の繁殖行動やなわばりなど生物全般の行動を分析する生態学(数理生物学)では、経済学と同様の数学的手法(動的最適化やゲーム理論など)を用いて、生物社会で見られる環境適応行動を理論的に解明しようとしている。このような人間や生物の行動を分析する分野では、「利己的な個体が環境に対して適応していく」というアプローチに沿って、その分析方法が次第に収斂してきているのが興味深い。

しかしながら、それでも経済学の仮定に対する違和感はぬぐえない。これは日本人のみならず、驚くべきことに経済学の本拠地アメリカでも、実は同じなのである。こうした違和感はどうして生じるのであろうか。まずよく言われるのは、経済学は認知能力の限界を踏まえていないことがあげられる。これについては、最近の行動経済学・実験経済学で精力的に取り組まれている。

そしてもうひとつ、重要なのに議論されていないのは、そもそも人間は自分に備わったルールに気づいていない、ということがある。つまり、経済学のルールは、本当はある程度人間行動に当てはまり、人間なら誰しもそれにしたがって行動しているのに、実際のところはそれに気づいていないのである。ここに、経済学のパラドックスが発生しているように私は思う。

人間の行動は、実は無意識に行われている部分が非常に多いと言われている。経済学が持つこうしたパラドックスの存在は、意識的に行動をコントロールしていると思い込むようになってしまった、我々現代人が持つ思考の危険性に対する警告なのかもしれない。

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