アジアンインサイト
ミャンマー農村社会の日本との違い

農業支援でピイを訪れて

2017年4月13日

  • アジア事業開発グループ シニアコンサルタント 天間 崇文

先日、ミャンマーのバゴー管区西部の都市、ピイ(Pyay)に一週間ほど滞在する機会があった。ミャンマー唯一の世界遺産であるピュー古代都市群の街としても有名で、エーヤワディー川に沿う広大な稲作地帯の主要都市でもある。旅行ガイド等で主に紹介されるのは、世界遺産の遺跡、町の中心部にある大寺院、メガネをかけた珍しい大仏などだが、紹介したい見どころは他にもある。
一つは、ゾウの観光園(Elephant Camp)で、ピイの市街地から数km離れた国道沿いにある。人によく馴れたゾウがとても愛らしく、餌やり体験が小型バケツ一つで1,000Kyat(約100円:1Kyat = 約0.1円)と安いうえ、鼻や頭をなでることもできる。ゾウ乗り体験もできるが、こちらは園内一周約10分で外国人は20,000Kyat/人と、日本のゾウ園と同水準の、現地としてはかなり高額な料金設定になっている。 実はこのゾウ乗りのミャンマー人向け料金は2,000Kyat(!!)と一気に1/10になるので、外国人向け料金ももう少し安くできないか、というのが正直な思いである。もう一つ、ピイ市中心の夜市も、果物、野菜等様々なものが並び、活気があって楽しい。夜市では手頃な値段の韓国料理店も利用できるし、川沿いに出て少し歩けばピイ唯一の日本人経営の日本食レストランもある。現地滞在が長くなった際には、その存在は精神にも胃腸にも非常にありがたい。

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さて閑話休題。今回のピイ訪問の目的はミャンマーの農村、特に稲作農家の機械化支援のための現地調査であったのだが、近年、ピイに限らずミャンマーの農村部では、耕耘や収穫などの農作業を機械化する必要性が高まっている。だが、機械化の焦点は、人手や家畜に依存する伝統的農法を近代化して、生産関連費用を削減するということではない。実は稲作地帯をはじめミャンマーの農村部では人手不足が深刻化しており、この不足労働力の代替として農機が求められているという現実がある。労働力不足の主因は、農村部の人が若者を中心に、より豊かな首都ヤンゴンや隣国タイのバンコクなどへ続々と出稼ぎに行ってしまうことである。
さて、こうした機械化の促進には、個別農家の負担軽減や効率的な指導の前提として農村部の農家の集団化・組織化が重要なのだが、ミャンマーではこれがなかなか難しい。稲作農家の機械化支援であれば、日本の経験や制度が参考になるだろう、と単純に捉えがちだが、ミャンマーの農村の慣習は日本のそれと大きく異なるため、日本からの農業支援関係者の多くが試行錯誤を重ねているのが実態のようである。アジアの、仏教が広く信仰され、かつ稲作が農業の中心であるという少なからぬ共通条件を持ちながら、いったい何がどれだけ違うのだろうか。

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筆者の観察では、農機普及以前の日本の農村との大きな違いの一つは、ミャンマーの農村での相互扶助組織・慣習の不在ではないかと思われる。稲作は、米という文字を分解した「八十八」の手間がかかるといわれるように、田んぼの手入れ、育苗、水利の工夫、収穫とその後の乾燥・保管といった、多くの作業工程と人手を要するのが特徴である。このため、日本では、例えば田植え時期など季節ごとの農繁期にはほぼ必ずといっていいほど農家や住民が助け合って地域一帯の農作業を行う「結(ゆい)」と呼ばれる土着の慣習が広く存在した。農作業に限らずこのような共助の慣習が古くから(説によっては室町時代ころから)存在したともいわれ、長い年月を経て共助への理解が農村に浸透し、明治以降の農村の集団化・組織化(その規模・機能が大きく変化した後継組織が、今の農協にあたる)の大きな助けとなったとする見解がある。
一方で、同じ稲作を農業の柱とし、機械化も進んでいないミャンマーで、実際にそうした共助組織の存在を耳にする機会は、筆者がこれまでの支援活動の中で見聞した限りでは皆無に近い(より奥地などに存在する可能性はあるが)。幾つか異なる地域において現地農家や農業支援関係者に直接質問してみても、共助の組織・慣習は存在しないと言明される場合が多い。これはいったいなぜだろうか。

日ミャンマー間のこうした違いの原因としては、月並みだが、やはり気候風土の影響が決定的であろうと思われる。日本では四季が明確、特に冬が存在するので、農作業の各段階における時間的な制約が厳しい。特定の季節に行うべき作業がその時期に完結できなければ、年間を通じた営農が困難になり「冬を越せない」という死活問題に直面する。水利面でも、夏季の田んぼへの水供給は雨だけには頼れず、他者の所有地を横切って水路を掘削する必要があるほか、引いてきた水を農民間で公平に分配する必要がある。農機のない時代に以上のような条件下で稲作を継続するには、農民同士の自発的な相互協力が不可欠だったことは容易に想像できるだろう。
これに対してミャンマーでは、(山間部等を除いて)そもそも冬がない。現地の「冬」(時期としては乾期に該当)は日本の初夏程度の気候であり、バナナなどの果実や諸作物も十分育つように、農作業の時間的制約は日本に比較すれば大幅に緩いといえる。また、雨期にはほぼ毎日雨が降るため、稲作といってもこの期間は灌漑の必要性が低い。雨期乾期の別は存在するものの、豆類など乾燥に強い作物は乾期でも栽培が可能であり、むしろ乾期作物の収入が稲作収入を上回ることさえあると聞く。こうした諸要因により共助の意義と必要性がミャンマーの農民には理解されにくく、結果として共助組織が形成されにくいのではないだろうか。
因みに、共助の慣習がない中での農民の組織化の困難を示唆しうる例の一つに、旧協同組合省(2016年に農業畜産灌漑省に統合)が農村部で協同組合を形成した事例が挙げられる。これまでの筆者の文献調査及び現地訪問の経験では、農村部での協同組合組織率は低率にとどまるほか、協同組合が農家の広域かつ有効な組織化に役立ったという話は、残念ながら耳にしたことがない。

もちろん、ミャンマーは16、18世紀の二度にわたって隣国タイを制圧した強国としての歴史も持っており、そこには何らかの強固な統治機構が存在したはずである。日本の農村組織が古くは領主の徴税・徴兵を通じて統治機構の一部としても機能したように、かつてのミャンマー王朝の統治組織の名残が、今もどこかの農村に息づいているかもしれない。また筆者の直接の見聞もまだヤンゴン周辺やミャンマー中部等に限られているので、民族も気候も異なる地域では、何らかの農民の相互扶助組織が重要な役割を担っているのかもしれない。ミャンマー農村の集団化・組織化は農業支援にあたって非常に重要な要素であるうえ、個人的にも興味深い話題であるため、引き続き関連情報を収集し、今後の支援に活かしていきたい。

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