ダラス連銀レポートが再提起した”大きすぎてつぶせない”問題

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2012年05月02日

  • 大和総研 顧問 岡野 進
ダラス連銀は、3月に発行した2011年の年報に、かなり大胆な内容の論文を掲載した。「繁栄への道の選択—なぜ今我々は”大きすぎてつぶせない”を終わらせるべきなのか」と題する調査ディレクター・ローゼンブルム氏のレポートである。年報は全体で34ページであるが、これだけで20ページを占めている。

題名どおり、”大きすぎてつぶせない”(巨大金融機関の救済の論理)を終わらせるべき、というのが論文の趣旨である。この主張自体は、フィッシャー・ダラス連銀総裁もローゼンブルム氏もリーマンショック発生時から訴えていたもので目新しいとはいえないが、大統領選挙のあるこの時期に、一地域連銀とはいえ、年報の主題として設定して主張したことは、問題提起として意味があるのでないだろうか。大金融機関を批判するウォール街占拠運動のような世論動向に対する回答という側面もあるのだろう。

まず、”大きすぎてつぶせない”がモラルハザードをもたらしたこと、金融機関の集中(Concentration)が金融危機のダメージをさらに増幅させた点を明快に説いている。”大きすぎてつぶせない”政策のモラルハザードについては90年代初頭のセイビングズ・アンド・ローン危機時にもさかんに議論された点である。つまり、巨大化した金融機関は失敗しても救済されることを事前に認識していれば、過度のリスクテークを行って利益の極大化を図る行動にでることで、マクロ的にはバブルの発生とその破綻を招く可能性があるということである。

90年代初頭の危機の主役は、過剰な商業用不動産融資に走った地方の小金融機関だったため、”大きすぎてつぶせない”について、議論はされたものの制度改革の問題意識はもたれなかった。むしろ、米国の金融機関の集中はこれ以降に加速的に起きたといってもよい。たとえば、預金保険機構に登録する銀行数は1989年末には16,107あったが、2011年末では7,357と半分以下に減少した。また資産規模のトップへの集中は2000年代に入ってから加速しており、金融機関トップ10の総資産シェアは1999年52%から2010年には80%へと上昇した。過度の集中がもたらす弊害という問題意識は、このような大きなシェアを持つ占める巨大金融機関が危機にさらされた今回のリーマンショックの教訓からきているのだろう。

また、リーマンショック後の景気の状況について、停滞的であるのは巨大金融機関が機能していないことが原因であり、中小金融機関は比較的良い役割を果たしているという。そして、”大きすぎてつぶせない”ということで巨大金融機関を救済したことは、政府、銀行システム、連銀そして資本主義そのものへの不信をもたらしており、そうした心理的副作用はひとびとの経済活動への意欲を阻害するとしている。

そうした認識のうえにたって、ドッド・フランク法(2010年に成立した金融改革法)について、これだけでは将来、巨大金融機関の過剰なリスクテークを阻止できないとし、また景気の回復につながらないばかりか、かえって妨げるものになる可能性もあると指摘している。現状では、ドッド・フランク法は金融機関のリスクテークを抑制する方向に働くのは確かだろう。経済へのリスクマネー供給が不足するかもしれない。では、どうすればいいのか?報告書は、巨大金融機関を分割してつぶれてもシステム全体には問題のない規模にし、市場競争が働く数の金融機関数を確保すべきだという。そうすることによって身軽な金融機関は自らにみあったリスクテークを行い、適正な競争が確保できるだろうというのである。

今回の報告書には計量的な実証分析があるわけではなく、もっぱら議論を整理したというものにとどまっているように思える。日本は不良債権処理の過程で一定市場規律を維持しながらも公的資本注入によって金融システムの再生を図った。そこでは70年代以降続いてきた金融機関の集中と大規模化が加速した。それが解決につながるという漠然とした常識が支配してきたように思える。金融機関の集中と大規模化は本当に日本の金融システムの安定につながるのか、もう一度、再検討してみる価値はあるのではないか?

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