日本経済、日本企業、外需依存のどこが悪い?

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2009年06月11日

  • 児玉 卓

米国を震源地とした「危機」でありながら、日本は米国以上の深刻な経済の落ち込みに直面している。それは日本経済の外需依存度の高さ、言い換えると内需の懐の浅さによるという見方は既に定説といってよい。そこで、この危機を奇貨として内需活性化を目指すべしという議論が出てくる。

しかし、10年先を見据えた長期構想であればいざ知らず、内需を支え、伸ばすことで持続的な景気拡大を目指すような試みは断念した方が良い。企業の戦略や業績についても同じである。少なくとも、短・中期的には外需依存で行く他はなかろう。

日本企業の売り上げや利益に占めるアジアのシェアが高まっているといわれるが、マクロベースで見ても日本の外需依存度(輸出/GDP)は高まる傾向にある。従って、短期的な日本経済・企業業績のパフォーマンスが、海外景気の回復如何にかかっているというのは、その通りであろう。しかし、より本質的な問題は、このような外需依存体質が出来上がったのは、日本企業の正常な利益追求行動の結果だということである。

典型的にはアジアとの関係である。日本企業はアジアの安価な要素費用(賃金、地代)を求め、直接投資を活発させてきたが、それは多くの貿易取引を誘発する。資本財や中間財が日本から輸出され、最終製品がアジアの被投資国から日本へ、或いは欧米に輸出されてきた。そして、こうしたプロセスがアジア諸国の所得を引き上げ、消費市場が拡大し、アジア諸国は生産拠点であると共に市場にもなった。それは日本企業がアジアの生産能力を一段と拡張させる根拠となり、再度日本からの輸出が増えるという循環が働いてきた。このような構図が、日本の経済体質を外需依存型にしてきたのだが、当然ながら、その過程で日本もアジア諸国も多くの果実を得てきたのである。もちろん、以上は一つの例であり、欧州の西側のEU先進国を日本に中東欧諸国をアジアの被投資国に置き換えても、ストーリーのエッセンスはほとんど変わらない。直接投資を契機とした貿易関係の密接化、国際分業の複雑化が、グローバリゼーションの重要な一断面だったといってもよい。

そして、現在の日本経済を取り巻く環境から考えて、以上のようなプロセスが再開される以外、持続的な景気拡大、企業業績回復の道筋は見出しがたい。「外需依存で行く他ない」の意は、アジアなど輸出相手国の景気回復を待つということではなく、その成長を、日本企業自らの利益追求行動によって作り出す必要があるということである。隣の大国中国との関係に即して言えば、同国の景気対策に「乗っかる」だけでは、持続的な恩恵は受けられない。重要なのは、景気底上げ、拡大の先導役を、景気対策から引き継いで行くことである。それが、結局は自らを助けることになる。

以上は些か「べき論」めいているが、遠くない将来の予想としてもそれなりの有効性を持っていると考える。そもそも、日本企業の正常な利益追求が日本企業の外需依存体質を高めてきたのは、内需の成長余力の限界に起因する。特にアジア(及び他の新興国)が単なる生産拠点から「市場」と認識され、内外の成長力格差が広く認識された時点で、この傾向は決定的になった。これを逆行させるのは難しいし、そうした中での内需活性化策には自ずと限界がある。

そして以上のような循環のプロセスを再開させることの出来る企業が、日本の景気拡大を先導していくことになろう。その際、鍵となるのは広義の技術である。これは資本ストックのスクラップ・アンド・ビルドに関連する問題である。既存ストックのスクラップを待ってビルドが始まるのではなく、高度な技術やノウハウを体化したビルドが否応なく既存設備をスクラップさせることがグローバル経済の「成長再開」の望ましい姿であろう。このような展開が始動すれば、例えば中国の過剰設備問題などは、成長の制約にはならなくなる。自ら外需依存体質を作り上げてきた日本(企業)だからこそ、アジアを中心とした新興国に技術・ノウハウを移植し、既存ストックの償却を加速させながら、成長再開を先導して行くことが出来るはずなのではないか。

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