ロシアのジレンマ

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2009年03月25日

  • 児玉 卓

あるロシアの新聞が行った世論調査によれば、過半のロシアの人々は今でも「ソ連の崩壊を残念に」思っているという(※1)。実のところ、このノスタルジーが、オイルマネーの奔流と拡散に起因する所得水準改善と並ぶ、プーチン人気の背景であった。エリツィン政権下でズタズタにされた、大国市民のプライドをくすぐり、人々の大国復活願望に応えて来たのがプーチンだからである。

今、政権の求心力を支えてきた二つの柱の内、一つは劇的な変調をきたしている。金融ショックはロシアからの資本流出を招き、ひところほどの激しさではないとはいえ、外貨準備の減少に歯止めがかかっていない。原油価格の下落によって、バラマキの原資は減った。

また、為替レートの下落は物価上昇率を加速させ、人々は、98年の混乱の記憶が呼び覚まされるという不愉快さを募らせている。家計や企業の預金がルーブル建てからユーロ建て、米ドル建てにシフトしていることは、人々の自国通貨への信認が揺らぎ、その表裏の関係として、人々のインフレ期待が不安定化していることを示している。まとめて言えば、ロシア経済のファンダメンタルズはかなり悪い。

このような中、プーチン-メドベージェフは、どのように政治的求心力の維持を図って行くのだろうか。力の行使?これまでにも見られたように、散発的な反政府運動への対応としてであれば、あり得るシナリオである。しかし些か逆説的ながら、その有効性は政府の求心力に目だった陰りの見えない時局に限られよう。力の行使は、人心の離反に拍車をかける可能性の高い劇薬である。

もう一つの候補が、バラマキの継続である。無論、これは「無い袖を振る」に等しい策であり、財政赤字の拡大に直結する。現在小康状態にあるルーブル下落を再燃させる可能性も高い。そして、それはインフレ率の高騰、持たざる者の生活の困窮と、持つ者のルーブル離れを加速させてしまう。

従って、原油価格再高騰などの神風が吹かない限り、経済的ファンダメンタルズの悪化に起因する政治的求心力の低下を、経済的手段によって修復することには、著しい困難を伴う。

そこで、経済的喪失を人々の大国復活願望を刺激し続けることによって穴埋めしようという誘惑が強まる。ウクライナとのガス紛争再燃などの例を引くまでも無く、近隣諸国への強硬的外交や保護主義的措置の発動などは、ある程度「標準シナリオ」と見ておいた方が良い。しかし、これも結局、ロシアに経済的困難を強いる結果に終わる可能性の高い方策である。

昨年夏までのロシア経済は絶好調といってよい状況にあった。そこに金融危機と原油価格の崩落が襲ったわけだが、問題は絶好調の経済が、ルーブルの割高化を伴ってきたことである。通貨が割高であるとは、外貨換算されたロシアの物価や人件費、地代が恐ろしく高いことに他ならないが、これを正当化してきた原油価格の高さ(→貿易・経常収支の大幅黒字)、ロシアマーケットに魅了された外国企業による進出ブームは既に存在しない。すなわち、ロシア経済の不安定性の根幹には、長い年月に亘って積み上げられてきた、通貨の割高さの解消圧力という「ルーブル不安」がある。政策的ジレンマの根底にあるのもこれである。

現在のところ、プーチン-メドベージェフ政権に伍する政治勢力は存在しないが、人心が現政権の敵対勢力に育ったとき、磐石に見えた内政が流動化するシナリオも荒唐無稽とは言えなくなる。

(※1)中村逸郎(2008年)「ロシアはどこへ行くのか タンデム型デモクラシーの限界」より。世論調査の原出典は「コメルサンティ・ヴラースティ」(2008年1月21日)。

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