財政赤字の真実

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2005年10月25日

  • 高橋 正明

今年6月末の国の借金(国債及び借入金)がGDPの1.6倍の795兆円にまで膨れ上がったことから、「国家破産」といったセンセーショナルな報道が目立つようになっている。しかしながら、政府の債務を家計(個人)と同じように考えることには問題がある。以下では、政府債務を理解するためのポイントを示す。

(1)完済する必要はない
「国民1人が600万円超を返済しなければならない」など、政府を個人にたとえて危機感を煽ることが多いが、これは正しくない。政府は個人と違って寿命が限られていないから、返済期限がきた分を順繰りに借り換えていけばよいのである。利払いが持続可能なら借り換えも可能だから、利払い費の対GDP比が重要になる。なお、1994年度から2004年度の間に、公債残高のGDP比は42%から100%に急上昇しているが、利払い費のGDP比は逆に2.4%から1.7%に低下している。

(2)債務額よりも投資先が重要
債務の裏側には必ず資産がある。企業が100億円の社債(債務)を発行すれば、同時に100億円の現預金(資産)が手に入る。問題は、債務が100億円増えたことにではなく、100億円の使い道にあることは明らかだろう。将来の収益が期待できる有望な投資に振り向けるのであれば、この100億円はむしろ望ましい「健全な借金」になる。政府債務も同じで、政府が国民から調達した資金を将来の国民生活に有益な投資に使っているのであれば、債務額(≒投資額)が大きくても問題とはいえない。高齢化社会に必要なインフラ投資などは、借金して(=国民が政府に貸し付けて)でも今のうちに実施しておくべきである。

(3)「負担の大きさ」よりも「再分配の公正さ」
増税の気運が高まる中、「国民の負担増を許すな」といった反発も強まっている。しかし、この「負担」という言葉には注意がいる。政府は国民から徴収した税金を必ず誰かに渡している(再分配)から、国民全体では負担と受益は一致しており、純負担(=負担—受益)の合計はゼロである。ただし、個々人の純負担にはプラスからマイナスまでばらつきがあるから、自分が損していると感じる人が多くなれば、政府に対する信頼が揺らいでしまう。そのため、「誰かが不当に得している」と思わせないだけの「再分配の公正さ」が不可欠になる。公正が確保されていれば、再分配の規模がそれほど問題でないことは、北欧諸国が実証している。増税は既得権益の打破と二人三脚で進めなければ、国民の納得を得られない。

(4)誰が借金を作ったのか・返済するべきか
そもそも、財政赤字とは「負担(納税)の先送り」の結果だから、政府債務の返済は、負担を先送りさせた人々の税金の後払い(増税)を主とするのが筋である。「負担を先送りした人々」が誰かだが、日本の財政赤字拡大の主因が度重なる所得税減税であったことと年功賃金体系を合わせて考えれば、現在の50~70歳代(の当時の高所得者)が浮かび上がる(この世代は、社会保障制度でも負担を後続世代に回している)。したがって、財政再建のための増税は、過去の財政赤字とはほとんど無関係な若年層ではなく、富裕中高年層をターゲットにしなければ道理に合わない。

日本の家計金融資産1400兆円のうち、1000兆円以上を50歳以上の世代が保有していると推計されているが、これは、税や社会保険料負担を先送りした分(=政府債務)を自分の資産にできたためでもある(先送りした「ツケ」が資産に化けるというのも不思議なことである)。この1000兆円の資産に手をつけずに若年層に負担増を求めるのでは、政府への信頼低下は避けられないし、日本経済そのものが、退職者への過度に手厚い医療費・年金負担で経営が行き詰まったGMのようになってしまう。日本経済の活力を維持するためにも、財政再建・社会保障制度改革に「因果応報」を貫くことが必要であろう。

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