「人種のるつぼ」と「平均的アメリカ人」

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2013年11月27日

  • 土屋 貴裕

ニューヨーク市警(NYPD)の年次報告書では、強盗事件の減少が伝えられている。治安の改善ということになるが、決済が電子化されてきたことで、現金の持ち歩きが減り、強盗がリスクに見合わないためということらしい。重大な犯罪のうちでは、同一人種間の殺人や強盗が多い、つまり殺人事件などで被害者と加害者が同一人種であることが多いとされている。強盗事件の件数全体が減少し、結果的に、同一コミュニティー内での犯罪が目立つことになっているようだ。

アメリカは「人種のるつぼ」といわれ、人種別の人口統計では、自分が2種類以上の人種である、との回答が徐々に増えている。なるほどニューヨークの街を歩くとそう思うこともある。だが、都市部から離れるにつれて、郊外では白人が多い地域、アフリカ系が多い地域、アジア系が多い地域と分かれているようにも見える。同一人種間で問題が生じるということは、「るつぼ」の中で溶け合っているのではなく「サラダ・ボウル」の中で混ざっているだけ、という意見も以前から言われており、まだ人種が融合したという状況ではないのだろう。

この点に関して、先日、中央アジアの国から4年前にアメリカにやって来たというタクシー運転手に尋ねてみた。アメリカに来るときは同郷の知り合いを頼ってきて、友達はやはり同郷が多いこと、最近はクレジットカードで払う客が、多分増えているとのことだった。

マクロ経済の統計では、アメリカの雇用は増えているが、質的にはまだまだである。具体的には、増えている雇用は低賃金が多いこと、パートタイムで働く人が減らないこと、長期失業者が減らないということである。経済的な格差の拡大、貧困の再生産が続きやすくなっている可能性がある。

こうした偏りがある以上、アメリカでは「平均値」が意味を成さないのではないか。平均値や中央値などはデータの集団を代表させる値だが、平均値はデータに偏りがある場合には適切ではないことがある。例えば、100人の所得を考える場合、99人が100万円で1人が10億円だと、平均は1,099万円となる。100人の所得を代表させる値として平均値はふさわしいと言い難く、この場合は100万円という真ん中の値、つまり中央値にグループを代表させた方がしっくりくる。「普通」であることを「平均的」という言葉で置き換えられず、「平均的なアメリカ人」という言葉も意味を成さないのかもしれない。

経済的にも、治安を含め社会的にも、所得の再分配重視か、成長拡大により分配できるパイの拡大か、どちらを重視するかは容易には結論を見ない。件のタクシー運転手に収入は聞けなかったが、アメリカで成功するつもりであるという意欲には感心させられた。アメリカ経済が成長する源泉は失われていないのだろう。

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