世界遺産として有名な「アンコール・ワット」の名を知らない人はほとんどいないだろう。ただ同じカンボジアの中にもうひとつ世界遺産があることをご存知だろうか。カンボジアの公用語クメール語で「プレア・ビヒア(タイではカオ・プラ・ビハーン)」と呼ばれるヒンドゥー教寺院の遺跡が、2008年にカンボジア2番目の世界遺産として登録されている。同寺院はカンボジア人口の9割を占めるクメール人によって、9~12世紀頃にタイ・カンボジアの国境地帯のダンレック山地に建設された山岳寺院で、高所からカンボジア平原を望むことができる。問題はこの世界遺産登録が、くすぶり続けていた両国間の国境線の確定問題を巡る紛争を引き起こすことになった点にある。

両国の国境問題は、1863年フランスがカンボジアを植民地化した後、20世紀初頭にタイ(当時はシャム)の領土であった現在のカンボジア北部がフランス領に割譲されたことにはじまる。その際、ダンレック山地の分水嶺が国境線と定められたが、フランスが定めた国境線とタイの主張するダンレック山地の分水嶺が一致しない事態が生じた。プレア・ビヒアは正に帰属がはっきりしない地域に存在した上に、著名なアンコール・ワットがタイからカンボジアに割譲されたことなどを巡って、タイとカンボジア両国間では国境線を巡り感情的なしこりが残ることになっている。(年表を参照)

第二次世界大戦後は、タイが自国の警備兵をプレア・ビヒアに常駐させて実効支配していたが、独立後のカンボジアが同寺院の領有権の確認を求めて国際司法裁判所に提訴、1962年の判決で寺院周辺におけるカンボジア側の主権が認められている。タイ側は不満を示しながらも、つい最近まで同判決に従ってきた。ところが、2008年にカンボジア側が、ユネスコの世界遺産委員会にプレア・ビヒア寺院遺跡の登録を申請、同年7月に登録がなされたことで、タイの政治団体等が激しく反発するきっかけとなった。

特に世界遺産登録の直後から、両国の軍部隊が同寺院周辺に対峙して銃撃戦という事態が招かれた。その後、両国政府首脳同士の話し合いによって小康状態にあったが、昨年末にタイの政治家や市民団体幹部が、カンボジア領内侵入の容疑で拘束され、2名がスパイ容疑で有罪判決を受ける事件が起きた。これにより再び緊張が高まり、先般の2度目の銃撃戦では民間人を含む死傷者も出る始末だ。

現在、カンボジア、タイともに相手国を非難し続けているが、フン・セン首相(カンボジア)は同問題に強硬姿勢を示すことで2008年に実施された総選挙に大勝、一方のアピシット首相(タイ)も、本年6月にも予想される下院選挙に向けて妥協をする姿勢が一向に見られない。両国とも民主化がすすみ、国民の政治意識も高まっているが、一連の国境問題が各々のナショナリズムを強く刺激している面がありそうだ。

懸案の寺院が建設されはじめた、9世紀以降のインドシナ半島の歴史を振り返ってみると、ベトナム中部にあった国チャンパー、タイのアユタヤ朝、ビルマのバガン朝やタウングー朝、そしてクメール人のアンコール朝などは、国力の盛衰に応じて、互いの領土を征服、侵食する争いを繰り返してきた。この間、伝統的に明確な国境線が設定されることはなかったようだが、現代のカンボジア、タイ、ベトナムなどインドシナ半島の国民同士が、歴史的経緯からお互いに強いライバル意識、反発心を潜在的にもっているというのは全く不思議なことではない。

今年に入り、はじめてASEAN議長国のインドネシアが上述紛争の仲裁に乗り出し、軍事衝突の発生を防止する監視団を派遣する意向が示されている。ASEAN事務局長も2015年のASEAN経済共同体の発足に向けて、一連の軍事衝突が域内の経済発展へ及ぼす悪影響を懸念している。中国とインドに挟まれた地政学的な観点から、求心力を高めていく道しかないはずのASEAN10か国だが、各国ともに抱える調整困難な問題は少なくないようだ。当コラムの国境紛争はその典型例のように思えるのだが、内政不干渉というASEANの大原則が、当紛争の仲裁で崩れることにでもなれば、経済統合の方向性もまた、不透明になっていくとの懸念が拭えない。

タイ・カンボジア紛争に係る年表

年号 出来事
1863年 カンボジアが保護国条約により、フランスの支配下に入る
1867年 タイ(旧シャム)がカンボジア中部をフランスに割譲
1907年 タイがカンボジア北部をフランスに割譲(アンコール・ワット含む)国境がダンレック山地の分水嶺と決められる
1908年 フランスの測量地図が公刊(プレア・ヒビアはカンボジア領)
1934~1935年 タイの調査で国境線と分水嶺の不一致が確認される
1953年 カンボジアがフランスから独立
1959年 カンボジアがプレア・ビヒア寺院と周辺地域の領有権の確認を求めて、国際司法裁判所に提訴
1962年 国際司法裁判所が、カンボジアの主張を認める
1975年 カンボジア内戦で、ポル・ポト派がカンボジア北部を拠点とする
2003年1月 タイの人気女優が「アンコール・ワットはタイのもの」と発言、カンボジアのタイ大使館が襲撃され、バンコクでも抗議活動が起きる
2008年7月 カンボジアがユネスコにプレア・ビヒア寺院の世界遺産登録をする
2008年7月 カンボジアのフン・セン首相率いる人民党が第4回総選挙で大勝利
2008年10月 第1回目の軍事衝突が起きる
2009年12月 タイの政治家と市民団体幹部がカンボジア当局に拘束され、2名が有罪となる
2010年2月 第2回目の軍事衝突が起きる
2011年2月 緊急ASEAN外相会議で議長国インドネシア外相が仲介を申し出る


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