「健康経営」は企業価値向上に繋がるのか?

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  • コーポレート・アドバイザリー部 主任コンサルタント 宮内 久美

社員の健康増進に積極的に関与することを企業の経営戦略として行う、いわゆる「健康経営(※1)」は、その考え方や取り組みの意義について、ここ1-2年で急速に理解が進んできている。日本再興戦略の中にも柱の一つとして取り上げられ、厚労省の進めるデータヘルス計画の開始、経産省と東証で進める健康経営銘柄の選定などにより、国が積極的に推進・アピールしていることもその一因であろう。


大和総研では、組織・人事に関わる支援や、企業の健康保険組合の運営アドバイスを行ってきた経緯もあり、健康経営に関わるテーマに積極的に取り組んでいる。昨年は、健康経営に関連し、書籍の出版(※2)、上場企業の「健康経営度」アンケート調査の実施(※3)、セミナーの開催などを行った。


このような活動の中で、企業の方々と健康経営について議論をする機会も増えているが、その中でたびたび話題に出るのが、施策の成果が具体的に数字で明らかにできないと経営戦略として取り組みづらい、という定量的評価の問題である。


確かに、従来の健康保険組合による取り組みであれば、医療費の削減といった明確な数値目標が掲げられる。一方で企業が行う社員の健康増進施策では、目標とする数値・指標として確立されたものがあるわけではない。新しい考え方であるため、施策の効果についての検証もまだ蓄積されていない。しかし、経営戦略であるからには、取り組みが企業価値や業績にプラスの効果をもたらす必要がある。


例えば、長時間労働問題のみに焦点をあてた施策であれば、時間外勤務時間や残業手当の減少が指標となるであろう。しかし健康経営とは、ただ一つの問題解決によるコストの削減が目的ではなく、従来の働き方や職場環境を変えることによる生産性の改善を通じた企業価値の向上を期待するものであり、定量的な成果を短期間で示すことは容易ではない。


働き方を変えることは、フィジカルヘルスのみならずメンタルヘルスの改善により大きく寄与すると考えられる。ここでは、メンタルヘルス、働き方施策と企業業績・生産性との関連について検証された研究(※4)を紹介する。


慶應義塾大学の山本教授らは、公表されている企業調査データを用いて、メンタルヘルス、労働時間、労働施策と企業業績(利益率、生産性)との関連性を、統計学的手法であるパネルデータ分析を用いて検証している。その結果の一部が下記のグラフである。


この分析によれば、(1)メンタルヘルス不調による休職者の比率が上昇している企業は、上昇していない企業と比較し売上高利益率が悪化する傾向がある、(2)休職者比率が上昇した2年後に利益率が悪化する、ことが明らかになっている。この分析結果の背景となる要因を明らかにすることは容易ではないが、山本教授らは、メンタルヘルス不調による休職者(アブセンティイズム)は社員の1%程度だが、これは氷山の一角であり、休職していないがメンタル不調の状態のまま働いている社員(プレゼンティイズム)による生産性悪化が影響している可能性がある、と指摘している。

メンタルヘルス休職者比率と利益率との関係

また働き方に関わる施策(ワークライフバランス施策:長時間労働是正、法を上回る育児休業・介護休業制度、ワークライフバランス推進組織の設置、正社員への転換制度等)と労働生産性(TFP(※5))との関連性について行ったパネルデータ分析では、以下のことが明らかになっている。


(1)ワークライフバランス施策は、一貫して生産性(TFP)を高めることはないが、中堅大企業、製造業、労働の固定費の大きい企業、女性を活用している企業では、ワークライフバランス施策が、生産性を中長期的に上昇させる傾向がある、(2)中小企業であっても、正社員比率の高い企業、労働保蔵(適正な雇用者数より多く雇用していること)が大きい企業では、一部のワークライフバランス施策が生産性を高める。


施策の成果については、この他、業種による違いや、施策によっては生産性を引き下げる効果が出ているものもある。これらの分析結果から言えることは、社員のメンタルヘルス不調の顕在化も、働き方改善施策の成果も、いずれも単年度での影響というより、2年以上のラグを持って業績や生産性に影響が表れており、企業は中長期的なスタンスで取り組んでいくことが重要である。また、健康経営や働き方改善に効果をもたらす施策は、企業の属性や現状の組織、人事制度によっても異なる。健康経営を進めるためには、まずは、自社の現状を把握することから始める必要があると言えよう。


(※1)「健康経営」はNPO法人健康経営研究会の登録商標です
(※2)「人材マネジメント大転換「健康戦略」の発想と着眼点」2014年、中央経済社
(※3)上場企業の「健康経営度」調査結果を発表、2014年9月25日
(※4)「労働時間の経済分析」、山本勲、黒田祥子、2014年、日本経済新聞出版社
(※5)TFP Total Factor Productivityの略。全要素生産性。

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