トランプ氏の製造業引き止め作戦は荒唐無稽か?

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2017年01月12日

  • 児玉 卓

2000年代半ば、ロシアは乗用車の輸入関税を高く設定する一方、一定の条件のもとに部品にかかる輸入関税に優遇措置を講じ、完成車の生産拠点の国内誘致を目論んだ。時は原油価格高騰期。BRICsブームでロシアを含む新興国の成長期待が高まっていた時期でもある。誘いに乗った自動車企業は少なくなく、ロシアの輸入代替戦略は一定の成功をみる。当時のロシアの景気拡張のきっかけとなったのはオイルマネーの急増だが、それが消費を増やし、奢侈財の輸入を増やし、ひいては国内での生産能力の増強につながったのである。2005年から2008年までの同国は、典型的な内需主導型成長パターンにあった。

同じような政策を、今、米国が採用しようとしている。トランプ氏は、米国の空調メーカーや自動車メーカーの生産拠点の海外移転を阻止し、国内の生産能力の維持、増強への異様な執着心を示している。当たり前だが、この政策は非常に評判が悪い。まずは、実行可能性のあいまいな関税政策発動などの脅しを使って、個別企業の経営に介入する「やり口」のたちが悪い。待ち受ける成果についても、よくて期待外れという評価がせいぜいだろう。米国内生産の強要は、各企業がグローバルに張り巡らせたサプライチェーンの効率性を損ね、分業の利益に背を向けるものであり、当該企業の生産性を低下させる。また、人件費等のコスト上昇が販売価格を押し上げ、インフレ率を加速させる。ひいては、米国の景気拡大の息の根を止める可能性がある。最近は米国のマクロレベルで人件費の上昇ペースが加速しつつあり、金融引き締め強化を通じた景気失速のリスクが増してきているし、完全雇用近傍にある米国で、更に雇用を増やすのであれば、供給も併せて増やさなくてはならない。といって、トランプ氏がヒスパニックやイスラム教徒の移民受け入れを積極化するとも思えない。トランプ政策は総じて実行可能性が怪しく、政策間の整合性にも乏しいのだが、製造業引き止め戦略はその最たるもの、という評価が一般的であろう。

確かにそうなのだが、このところ、「もしかすると」と思わせる事例が散見され始めている。一つは、空調メーカーや自動車メーカーを「改心」させた「成功例」が、少なからぬ追随者を生む気配をみせていることだ。個別事例の積み重ねがマクロ的にも無視できない「潮流」に発展する可能性はないだろうか。トランプ政策の先行きは不透明であるが、米国に生産拠点を留めるコストを払うことで、例えばメキシコへの移転に伴う不透明性を軽減することが可能になる。そう「合理的に」判断する企業は少なくはないかもしれない。恐らく多くの企業は、米国に留まる、ないしは回帰するコストと、外国拠点に移転し、或いは留まることで被る不透明性の比較衡量に勤しんでいるのではないか。

もう一つ、「もしかすると」と思わせるきっかけとなったのが、日系自動車メーカーによる米国における巨額投資計画の発表である。メディアが報じるように、そこにはトランプ攻撃への自衛策という意味合いもあろうが、より重要なことは、当たり前ではあるが、米国企業であれ、外国企業であれ、既に米国で事業展開している企業にとって、もっとも“No Way”な戦略は、米国市場を放棄することだということである。そして、米国に留まることを選択した企業は、それに伴うコスト上昇を如何に最小限に抑えるかがさしあたっての課題となるが、その一つの解が、生産性向上を期した米国内での投資に他ならない。

こうして、製造業企業による米国での投資が活発化し、米国製造業の賃金と生産性が、一段高いところで均衡するというシナリオもないとは言えない。もちろん、著しいナローパスではあろうが、それが可能であるとすれば、イノベーションの宝庫である米国以外にはありえない。トランプ新大統領恐るべし???

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