書を捨てよ、町へ出よう

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2016年06月20日

  • 佐井 吾光

「書を捨てよ、町へ出よう」。

演劇家寺山修司のこのエッセイのタイトルをご存じだろうか。このタイトルは、現実(町)と非現実(書)との両面を踏まえながら「二股歩き」をすることで、現実の問題点を浮き彫りにすることができる、ととらえることができる。座学だけでは、ガスの抜けたサイダーのようで、飲めなくはないが、何かが足りないのだ。寺山修司のこのエッセイを再読して、私にとって何が足りないかを考えた。

昨年の夏休みに、何十年ぶりかで東北在住の友人に再会するために「みちのく一人旅」へ出た。

旅の途中で、釜石・陸前高田・気仙沼を訪れた。驚いたことに、震災後4年半も経つのに壊れた家屋はそのまま、仮設住宅の多さに驚かされた。とりわけ陸前高田の海岸線は復旧工事のさなかで、台形の盛土の景色がいくつも見えるだけで、他は何もない。JR大船渡線のBRT(バス高速輸送システム)陸前高田駅から、海岸側へ約3キロくだったロッジへ行き宿泊した。そこは高さ15メートルほどある盛土に囲まれて誰もいない、ただただ広い地にポツンとあるロッジ。客は私一人だけだった。翌朝駅まで戻り、気仙沼行を待っていると、80代くらいの老婆に声をかけられた。老婆は、駅の待合室のカウンターを雑巾がけし、牛乳の空き瓶に花を挿していた。次のバスまで1時間ほど、何気ない会話を交わした。話を聞きながら、空き瓶に挿してある花にふと目をやる。その花は、昨晩、陸前高田の海岸線を歩いていたときに目にした野花と、同じものであった。その野花は、空き瓶に挿して道の端にいくつもあった。旅先で目にした何でもない野花に、深い意味を感じ、陸前高田の現実が腹に落ちた。

経営コンサルタントとして、多く資料を読み解いても、なかなか腹落ちしないことがよくある。お客様の課題を発見・整理し、その課題克服のお手伝いを仕事としているが、事前に資料を読み込んでもどうしても腹落ちしない、何か引っかかる違和感を感ずることが多い。そういう場合は、資料の読み込みを一旦中断し、お客様の生の声を聞くことにしている。そうすると、それまで引っかかっていたものが一気に氷解する経験を何度もした。逆に、お客様の生の声を聞かなかったら本質的な課題を見つけられなかったと思われる。

三現主義という言葉がある。

現場に入り、現物の不具合をみて、現実の状況を理解することにより、本当の問題点を把握することができるという意味である。問題の原因の突き止め方が不十分だと、対策もピントはずれになる。このことは、経営コンサルタントのみならず、企業実務家としては必須の姿勢であろう。

昨年の夏休みの旅は、経営コンサルタントとして最も重要な姿勢の一つを改めて思いださせてくれた旅であった。

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