スター・ウォーズが楽しめない理由

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2016年02月18日

  • 秋屋 知則

先日、遅ればせながら映画「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」を観た。例のテーマ曲とともに大きな文字の壁が銀河の彼方へ流れていくオープニングなど、お決まりのくすぐりどころは健在だが筆者が一番驚いたのは旧作の出演者たちが随分と歳をとって見えたことだ。映画の設定通り、新旧間30年の時の流れを実感させられる。

映画は大画面で音の迫力もあり、楽しめたが、以前ほど、どっぷり浸れなかったのは中身云々ではなく、こちらも歳をとったことに起因するかもしれない。それは観ながら全く別のことを考えてしまったりしていたからだ。

例えば、ドロイド(ロボット)2人組、C-3POとR2-D2。大好きなキャラなので今回も出番があり、うれしかったがダース・ベイダーの幼年時代から存在するので少なくとも組立後60年は経っていると思われる。彼らの主な機能は通訳とナビになると思うがムーアの法則よろしく携帯電話がそうであったように、その間に相当に高機能かつ小型化しているだろう。とすると手のひらサイズか、下手をすればチップになっているのではないか。アメリカ人の知人は、「外見は同じでも中は相当アップデートされているはず」と言ったが、おそらく技術進歩はそのレベルでは収まらないだろう。

進歩と言えば、A long time agoという設定だが、そもそもあれほど文明が発達しているのに何故彼らは戦争をしているのだろう。宇宙における架空の物語に現実を仮託させて何か教訓やメッセージを出すのだとして、それは何だろう。ラブロマンスや親子の葛藤は横に置くとして、1980年前後、当初の作品群には作られた時代を反映して帝国と共和国の対立軸があった。帝国は独裁者のいる国家と読み替えてもよいのだろう。米国から見た勧善懲悪か、最後は共和国(その時は反乱同盟軍)側が勝つのだが、そこには「理力」とも訳された超能力、Forceの存在が重要だった。Forceは念力など様々な形で現れるが武力に使うときは使い方を間違ってはいけないと教えていたようにも思う。ただ現実社会でも冷戦が終わって久しいが対立の構図はなくなっていない。結局、生命、エネルギー、食糧、労働など、様々な分野に関連する科学の進歩は紛争の解決手段にはなり得ないのだろうか。

また、新作では主人公が女性になったことも目新しい。(ルーカスフィルムの買収に伴い)配給がディズニーへ変更されたことが影響しているかもしれないが大ヒットした「アナと雪の女王」では、初のダブルヒロイン採用が要因の1つと言われている。女性の活躍は日本でも重要なテーマだが今回、敵の攻撃の中で男性に手を引っ張られて逃げるのを拒む強く自立した存在として描かれている。映画を古いものから見て比較すると多様性の影響だろう、男性、あるいは白人中心のキャストから随分、変化しているように感じられる。

本作からあらたな三部作が始まるとのこと。筆者のようなへそ曲りはともかく人口に膾炙したようだから娯楽作品としてのサスティナビリティは十分にあるようだ。

ちなみにC-3POは、音だけ言えば、see 3 PO とも聞こえる。昨年、日本では、郵政3社のIPOが話題になったがドロイド2人組はPublic Offeringや研究開発(R&D)と関係あるのか、あるいは新キャラクターのフィンは何に由来?とか、BB-8のBBはBook-to-Bill?などと頭をよぎるのは少々、この業界に長くいて毒され過ぎているのかもしれない。

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