代表なくして課税なし、大都市を巡る葛藤

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2015年08月04日

  • 中里 幸聖

「代表なくして課税なし」

アメリカ独立戦争(1775~1783年)のスローガンの一つである。歴史の教科書などにも載っていたので、見た覚えがある人もいるであろう。英国の植民地だった当時の米国は、英国議会に代議士を送ることができなかったが、課税されていた。英国では、人民が選出した代議士の承認なしに課税することは不当という考え方が既に一般的となっており、当時の米国植民地側の主張は正当性があったと言えよう。ついでながら、かつては米国が紅茶、英国がコーヒーを嗜むのが中心であったが、アメリカ独立戦争のきっかけの一つとなったボストン茶会事件以降、米国がコーヒー派、英国が紅茶派となったそうである。

閑話休題。「代表なくして課税なし」は、消費税再増税に関連した2014年の衆議院解散・総選挙の際に安倍首相が用いたが(※1)、それとは別に地方行財政を巡る議論にも大きく関わる概念である。

2020年の東京オリンピックに向けた新国立競技場の建設は、建設費高騰などにより白紙に戻して再検討することになった。建設費高騰問題が紛糾していた時期に、元都知事が都民以外の通勤者らに追加で負担してもらって建設費に充当するという新税構想を語ったそうである。趣旨の是非は置いておいて、「代表なくして課税なし」を無視する典型的な事例であろう。

この事例だけでなく、地方交付税や地方法人特別税などを巡る大都市と大都市以外の見解の相違は(※2)、さまざまな場面で生じている。大都市側からしてみれば、自分たちで稼いだ結果を反映している税収が、地方のために使用されているという感覚を持っている。一方、大都市以外の地域にしてみれば、大都市が稼ぐための人材に対する投資、つまりは教育費や育成費をはじめとするさまざまな負担は地方が担っているし、大都市の税収の基礎でもある大都市における消費の少なくない部分を大都市以外の住民が占めているとの思いがある。つまり、大都市が大都市たる所以は、大都市以外の地域が支えているからであるという発想である。

明治維新以降の中央集権体制を継続した結果が、現在の東京をはじめとする大都市への集中の一因であるのは間違いないであろう(もちろん、それ以外の要因もある)。当時、欧米列強の侵略から独立を維持するためには、中央集権もやむなしとの判断もあった。

しかし、少なくとも帝国主義的な侵略の時代は第二次世界大戦で一応終結したと言える。わが国を取り巻く状況は地政学的なリスクに満ちているが、技術の進歩や組織のあり方などの変化により、中央集権で対抗することが必然ではない。また交通・通信分野での飛躍的な技術発展は、現在の市町村、都道府県という枠組みと人々の生活圏との齟齬を生じさせている。前述の「都民以外の通勤者らに」負担を求めるという発想も、関東州という行政区にしてしまえば、「代表なくして課税なし」といった問題も解消できることになろう。

大都市を巡る葛藤は、都道府県より広域の行政区(例えば道州制)を設置することによって、そうした広域な観点から解決を図っていくのが良いのではないだろうか。

(※1)平成26年11月18日「安倍内閣総理大臣記者会見」(首相官邸ホームページ掲載)より。
(※2)地方交付税は、地方公共団体の財源の偏在を目的とする地方財政調整制度であり、所得税、酒税、法人税、消費税の一定割合(法定)並びに地方法人税の全額を財源として、財源が不足している地方公共団体に交付している。地方法人特別税は、「税制の抜本的な改革において偏在性の小さい地方税体系の構築が行われるまでの間の措置」(地方法人特別税等に関する暫定措置法第1条)として創設された。地方税である法人事業税の税率を引下げ、その引下げ相当分に対応して地方法人特別税を国税とし、人口と従業者数を基準として各都道府県に配分するもので、2008年10月から適用されている。

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