「遊び」の効用

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2015年06月09日

  • 中里 幸聖

「遊び」という言葉から何を連想するだろうか。

小さい子供たちが公園などで遊んでいる風景などが最初に浮かぶだろうか。あるいはボードゲームや電子ゲームに夢中になる、スポーツに興じる、など総じて娯楽に関わることを「遊び」とみなすかもしれない。あるいは酒色や賭け事などの遊興にふけることも「遊び」と表現することもあろう。仕事がなくて手持ち無沙汰な状態を指すこともある。物事にゆとりや余裕があることを指す場合もあろう。その延長では、自動車のハンドルにおける「遊び」など、機械などで急激な力の伝播を防ぐために部品の結合にゆとりを持たせることを指すこともある。

最後の工学的な意味での「遊び」が典型的だが、「遊び」の効用について考えてみたい。

工学的な意味での「遊び」の効用は、自動車を運転したことがある人なら容易に納得できるであろう。ハンドルを少し動かしただけで、タイヤが反応してしまうとすれば、一般道なんて恐くて走れない。

一方、娯楽のような「遊び」については、無駄なものと捉える向きもあるかもしれない。しかし、娯楽は衣食住など生きるために必要なものを生み出すわけではないが、娯楽は感情を持つ人間が生きていくためには欠かせないものである。「遊び」があるからこそ仕事や勉強にも打ち込める。仕事や勉強ばかりしている人生では、息が詰まるであろう。ただし、他人からは仕事や勉強に見えても、当人には「遊び」である場合もある。ついでに言えば、電子ゲームに象徴される「遊び」に熱中する消費者が存在しないなら、ゲーム機産業もゲームソフト産業も存在しえないし、半導体産業もここまで急速に大きくはならなかったかもしれない。

「遊び」の中からさまざまな発想や発明のヒントが生まれることもある。ただし、ヒントを得ようとして遊ぶのは本末転倒であるが。一方で、幼稚園や小学校くらいの年齢では、「遊び」を通して、ルールを守ることや協力や競争することを学ばせるという教育効果を狙う場合もある。さらには「遊び」が実務の練習に通じていることもあろう。

仕事がなくて手持ち無沙汰な状態を指す場合の「遊び」は否定的な色彩が濃い。しかし、組織としてみた場合、ある程度の暇というか余裕があるつくりになっていないと、突発的な危機が生じた場合に対応不能になってしまうリスクがある(※1)。また、軍隊などでは古来より「遊軍」を設けて戦闘を行うことが多い。戦闘中に有利な局面が生じたときに遊軍を投じる、あるいは劣勢な部隊に援軍を送るためには、戦闘を行っていない部隊を手元に準備していることが重要である。

総じて「遊び」は余裕にも似た概念ともいえる。一分の隙もない、別の観点から見れば余裕のない状況は、想定していない状況への対応力が弱い。

と「遊び」の効用という観点で綴ってきたが、織田信長が好んだと言われる幸若舞「敦盛」の一節「下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」というのが人生であるならば、「遊びをせんとや生れけむ」(後白河法皇編「梁塵秘抄」より)と生きるも一興であると思わないでもない。ただし、存分に遊ぶためには、やはり仕事も勉強も必要なのもまた一理である。結局、「よく学びよく遊べ」ということか。

(※1)長谷川英祐『働かないアリに意義がある』(メディアファクトリー、2010年)は、アリなどの組織を作る昆虫の研究を通してこうした観点を描いている。

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