円安効果再考

善悪論の相克を超えて

2014年11月10日

2014年8月以降、日米の金融政策のスタンスの差異などを背景に円安ドル高が急速に進んだ。この動きを受け、円安が日本経済に与える影響に再び脚光が当たっている。しかし未だに「円安善玉論vs悪玉論」のように極端な対立が生じるなど、為替変動の経済全体に対するインパクト、あるいはその変化を裏付ける論拠はあまり共有されていない。本稿では錯綜する円安効果の見方を整理し、その妥当性を検討する。

まず、「円安善玉論」の中でも最もナイーブなものが輸出増進論だろう。この論理は円安が進んだ過去2年間の輸出数量の伸び悩みを受け、現実問題としてほぼ棄却されている。しかしなぜ、過去においては強い説明力を持っていたこの論理が、今回に限って成立しないのだろうか。筆者は過去にこの背景を整理し、5つの理由を提示した(※1)。しかし5つの理由を挙げるまでもなく、たった1つの要因で過去2年間のパラドックスの大部分を説明することが可能だ。結論を先取りすれば、その要因とはPTM(Pricing to Market、現地通貨建て価格設定)比率の変化である(※2)

PTM比率が低かった(主に円建てで価格設定が行われていた)時代には円安で輸出価格が低下し、結果的に輸出数量が増加した。加えて貿易財の代替性や価格弾力性に関する一定の条件の下でマーシャル=ラーナー条件が成立し、いわゆる「Jカーブ効果」が発生していた。しかしPTM比率の上昇とともに為替レートと輸出価格の連動性は薄れ、輸出数量に与える影響も低下している。貿易財の代替性や価格弾力性が低下したことも、こうした構造変化に寄与したとの指摘も可能かもしれない。仮にPTM比率=1、代替性=0、価格弾力性=0という極端な前提を置けば、円安になった分だけ円建ての輸出金額と輸入金額が同率で増加することになるため、日本の数値を当てはめれば貿易赤字幅が拡大するとの結論を得る。ただし第1次所得収支黒字も同様に増加するため、経常収支の黒字幅は拡大する。もっとも、これは極端な前提の下での静学的な議論であり、厳密には現実的なパラメター設定に基づいた動学的カリブレーションを行う必要がある(※3)。しかし暫定的な当て推量としては、プラスの円安効果をもたらすパスが縮小し、マクロで見れば中立的な構造へと日本経済が接近していると見ることは相応の妥当性を有しているだろう。

以上を踏まえつつ「円安悪玉論」を検討しよう。まず「強い通貨は国益」論。米国のように基軸通貨を有する国の論理を日本にそのまま適用することは正しくない。海外資産の購入原資が目減りするとの指摘もあるのだろうが、日本の経常収支黒字は既に非常に小さく、日本経済全体で見たときに海外資産の新規購入は、海外からの新規投資の受け入れもしくは既存対外資産の売却を意味するから、円安はそこに直接的な影響を与えない。むしろ海外投資の期待収益率が国内投資に対して相対的に低下した結果、産業空洞化の進展を抑制する効果が期待される。

次に「輸入物価の上昇が国民所得を毀損」論。この論理を主張する際に、輸出物価の上昇や所得収支黒字の増加を加味して勘定できているのかという素朴な疑問が湧く。PTM比率が高いほど円安時の輸出物価は上昇するし、PTMが採用されていない輸出財は現地通貨ベースで価格が下落した分だけ数量が伸びる蓋然性が高い。

最後に、「輸入企業の業績圧迫」論。ミクロでは一定の妥当性があるかもしれないが、マクロで見た円安効果が全体で中立的もしくはプラスであるならば、これは分配の問題である。円安で改善した輸出企業の業績が労働分配等を通じてトリクルダウンすればタイムラグを経て輸入企業にも恩恵は及ぶ。また、短期的な為替変動で業績が悪化しようとも、将来的な回復が可能な優良企業であれば、金融機能の完全性を前提とすれば資金繰りは可能だろう。長期的に円安が継続することを前提とするならば、産業構造の転換が求められるという結論を得ることになる(※4)

以上、本稿の議論を総括すると、円安は複雑な副次的効果を伴うものの、「そもそも善/悪である」「善から悪に転じた」という極端な結論に与するよりは、先述したような推量に落ち着くことが穏当ではないかと考察される。

参考文献:
大谷聡、「「新しい開放マクロ経済学」について―PTM(Pricing-to-Market)の観点からのサーベイ」、『金融研究』第20巻第4号、日本銀行金融研究所、2001年、171頁~204頁
大谷聡、「PTM(Pricing-to-Market)と金融政策の国際的波及効果―「新しい開放マクロ経済学」のアプローチ」、『金融研究』第21巻第3号、日本銀行金融研究所、2002年、1頁~54頁
小林俊介「円安・海外回復で輸出が伸びない5つの理由-過度の悲観は禁物。しかし短期と長期は慎重に。」大和総研、経済社会研究班レポート、2014年
近藤智也・溝端幹雄・小林俊介「今後10年の日本経済を読む10の勘所―日本経済中期予測(2014年8月)1章」大和総研、2014年
Betts, Caroline, and Michael B. Devereux, “Exchange Rate Dynamics in a Model of Pricing-to-Market,” Journal of International Economics, 50, 2000, pp. 215-244.
Obstfeld, Maurice, and Kenneth Rogoff, “Exchange Rate Dynamics Redux,” Journal of Political Economy, Vol. 103, No. 3, 1995, pp. 624-660.
Obstfeld, Maurice, and Kenneth Rogoff, “Risk and Exchange Rates,” NBER Working Paper, No.6694, 1998.

(※1)小林(2014)参照。
(※2)もっとも、PTM比率の構造変化には現地生産比率やマークアップの設定、現地市場の期待成長率や想定為替リスクなどの変化が影響している。本稿では紙幅の制限上、極限まで単純化して議論を進めているため、詳細は小林(2014)を参照されたい。ただしこれらの要因を加味しても本稿全体の論理展開および結論は大筋で不変である。
(※3)大谷(2002)参照。
(※4)ただし「急激な為替変動はマイナス」論は傾聴に値する。為替のボラティリティの上昇は投資リスクおよびヘッジコストを上昇させることを通じて、あるいは事業計画の調整コストを発生させることを通じて、投資を中心とした事業活動にネガティブな影響を与える。また、為替変動があまりにも急激な場合、先述のトリクルダウンや資金の再配分、人材などの生産要素の調整、および産業構造の転換が間に合わない可能性は否定できない。

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