過去から、現代のインフラを考える

2014年10月2日

日本には、北は北海道から南は沖縄まで、中世から近世にかけての多数の城が点在している。また、その形式は山城から平山城、平城、水城など色々である。特に、江戸時代の城は各藩の中心地であったことから、県庁所在地をはじめ、政治・経済の中心都市と重なっており、現在は、公園として利用されている他に、役所や学校などの建物が置かれている場合が多い。

実際に足を運んでみると、現状の城跡の姿もまたさまざまである。国宝や重要文化財に指定されるような天守など、当時の姿を今に残している城もあれば、櫓や門など一部の建物が現存するケース、そして堀や石垣しか残っていない城跡もある。最も目にするポピュラーなのは、戦後になって天守などが再建されたものであろう。ただ、これも外観上はかつての姿を取り戻していても、中身がコンクリート製もあれば、木造で往時通りに復元された天守も見られる。

天守などが存在しなかった背景には、明治維新後の廃城令で建物が失われたり、戦争中の空襲で破壊されてしまったケースがある。これを、市制○周年といった記念事業や観光客を呼び込む地域振興を目的にして、戦後に再建してきたわけである。現在でも、ランドマークである天守などの復元のための署名活動を実施したり、城の再建・整備のために寄附金を募る運動が幅広く展開されている。

一方、江戸時代まで遡ると、幕府の出した一国一城令に従って多くの城が取り壊され、残された城も、火事などの災害によって建物が焼失してしまった事例が多い。その度に城そのものは建て直されてきたが、必ずしも天守までもが再建されたわけではなかったようだ。

まず、戦時から平時の時代に移り変わるなかで、城の軍事的な意味合いが低下し、天守の必要性が失われたことがあろう(そもそも、天守台のみで天守が築かれなかった城もあった)。また、復興のための財政難を理由に、他の櫓を建てて代用するケースも見られた。つまり、不要なものはわざわざ再建しないという合理的な考え方があったことになる。

今の日本においては、高度成長期に作られた道路や橋、上下水道などさまざまなインフラが老朽化しており、大規模な補修や更新の必要性に迫られている。一方、少子化によって今後も人口が減少していくと予想される状況では、インフラに対する需要は減っていこう。さらに、インフラ維持のための人材不足や国・地方自治体の厳しい財政制約という条件が加わる。当然ながら、現代のインフラを天守と同列には扱えないだろうが、今後のインフラのダウンサイジングを考えていく上では、江戸時代の判断は参考になるのではないだろうか。

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