古代ローマ帝国の滅亡

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2014年06月26日

  • 木村 浩一

古代ローマ帝国は西暦395年に東西に分裂した後、東ローマ帝国は1453年にオスマン帝国によって滅ぼされるまで1,000年以上にわたって続いたが、西ローマ帝国はゲルマン民族の大移動の嵐の中、476年に滅亡した。

同じ国家体制にもかかわらず、西ローマ帝国は何故かくも早く崩壊したのかについて、南川高志京都大学教授は、「新・ローマ帝国衰亡史」(2013年、岩波新書)の中で、ローマの拡大と繁栄を支えた「ローマ人」というアイデンティティの喪失がその要因であり、西ローマ帝国は外敵によってではなく自壊した、と分析されている。

都市国家・ローマからローマ帝国へと勢力を拡大していく過程で、ローマは、ゲルマン人など被征服民族にローマ市民権を与え、「ローマ人」として取り込み、有能な人材を軍隊、官僚機構に積極的に登用した。中にはローマ皇帝に登りつめるローマ市出身以外の者も出現するなど、実力主義の人事が巨大な帝国の繁栄とパックス・ロマーナを支えた。

しかし、4世紀末から西ローマ帝国では経済が低迷し、政治が混乱する中で、ローマ市民はその不満のはけ口を外部部族に向け、外国人排斥運動が起きた。ローマ帝国の安全を担う軍隊は、ローマ市民ではなく外部部族出身者が多数を占める中で、である。多民族を取り込む「ローマ人」という寛容の精神が西ローマ帝国から失われ、西ローマ帝国は内部崩壊していった、というのが南川教授の分析である。

西ローマ帝国で起きた、不満のはけ口を外国人に向けるナショナリズムは、今も世界中でみられる現象である。ヨーロッパ、アメリカ、中国、韓国。そして日本でも。特に、失業率が高く、若者の失業者が多いヨーロッパでは、移民を排斥する動きが強く、本年5月に実施されたEU議会選挙では極右政党が議席を大きく伸ばした。

中国、インドを始めとする新興国の挑戦を受ける中で、先進国は、人口減少、高齢化により、経済成長の伸び代が今後趨勢的に低下していく。国民の視野は自国の経済問題に集中しがちになり、指導者は世界的な視野をもって政治課題に取り組むことが今後ますます困難になっていくだろう。

しかし、失業や不況などの目の前の困難は、移民や外国人を批難しても解決しない。グローバル化した世界の中では、1国だけで生き残っていける国や民族はもはやどこにもなく、自ら困難を克服していくしかない。

EU議会選挙の結果は、遠い世界のこと、ひとごとと、受け止めないほうがいい。2,000年の間、同様のことが、時代を超えて、場所を超えて、民族を超えて、繰り返されている。人間の心の弱い部分がなせるわざである。古代ローマ帝国のように、外国人を受け入れ、取り込んでいける懐の深い国こそが繁栄できる。ローマ帝国の歴史は、過去の歴史ではない。

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