「ロンドン報告 2011年冬」 緊縮財政と教育、そして格差社会

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2011年01月20日

  • 児玉 卓
英国では年初より財政立て直しの一環として、付加価値税率が17.5%から20%に引き上げられた。ただし、日本の消費税とは違い、この国の付加価値税は食料品や書籍など、生活密着度の高いいくつかの財・サービスにはかからない(正確には除外項目ではなくゼロ税率が適用)。だから、家にこもって酒も飲まず(アルコールは課税対象)、おとなしく本を読む生活に徹すれば、財政引き締めの影響を相当程度遮断できる。そういう人が増えれば、税収底上げ効果も薄れてしまうわけだが、もちろん英国には付加価値税が多少上がろうが痛くも痒くもない人が沢山居る。庶民が外食を控える中、彼らが元々高い食事代により高くなった付加価値税を上乗せし、さらにチップを払って英国経済と財政を支えるわけだ。付加価値税のような間接税は相対的に所得水準の低い層の負担感が大きくなり、所得再分配機能は希薄という理解が一般的だが、英国のように品目による税率が差別化され、税率引き上げによる家計の行動変化も所得階層によって異なる場合には、必ずしもそうとは言えないということになろうか。

今般の緊縮財政で騒動を巻き起こしたのは、大学授業料の値上げである。在イングランドの大学の授業料は、今のところ年間3290ポンド(約43万円)の上限が定められている。これが公的な大学運営交付金の大幅削減により、6000ポンド、条件付で9000ポンドまで大学の裁量によって引き上げることが可能になる。これに反発した学生が、昨年11月に大規模デモ(ミニ暴動?)に及び、負傷者が出る事態となったのである。当地では、親がポンと大学の授業料や生活費を子供に与えるのは稀であり、ほとんどの学生はローンを組んで授業料、生活費を賄う。返済は卒業後だが、授業料の値上げは当たり前だが卒業時に抱えるローン負担を劇的に膨張させる。費用に対する学生の当事者意識が、多くの日本人学生よりもはるかに強いのである。当然、金銭的負担の増加から大学進学を断念するケースも出てこよう。英国は変容のさなかにあるとは言いながら格差社会が残存し、社会的モビリティの低さ(各階層の固定化)が指摘される国でもある。その閉塞の打破、端的には貧しい家庭の子供たちが這い上がるチャンスの決め手となるのが教育であることは論を待たない。そしてそのチャンスが、金銭的理由によって狭められようとしていることになる。

もっとも、このニュースに接した際に感じたことは、むしろこの国の初等・中等教育にかかわる疑念であった。

英国では日本の幼稚園等に相当する就学前教育、16歳までの義務教育は、公立施設・学校に通う限りは原則タダである。一方、就学前教育を含め、私立学校の学費は年間1万ポンド内外に達する。イートンやハーローなどの全寮制パブリックスクールに行けば、それに多大な寮費が乗っかってくる。大学進学にかかる費用云々の前に、これこそが社会的モビリティの低さをもたらしているのではあるまいか。

思い起こされるのが、インドの事例である。数年前、同国のジャワハルラル・ネルー大学というところで、1週間の短期聴講を受けたことがある。恐らくかつての英国の制度を見習ったのだろうが、ここは学費も寮費もすべて無料である。しかし貧しい人の役には全く立っていない。というのも、そこに入るには猛勉強が必要で、タダの公立初等教育機関に通っているだけでは絶望的だからである。小学生から授業がすべて英語で行われるような、ばか高い私立に通っていないと、入学はほとんど不可能であり、結局、大学の学費免除は、金持ちをさらに優遇するに終わっている。社会の流動性を高めるために必要なのは、英国でもインドでも初等教育改革ということになるのではないか。

とはいえ、英国の現状に立ち返れば、例えば公立学校を有料化し、そこであがる収入を私学進学への補助金に回すなどといった政策の実現性は乏しい。その理由は義務教育に対価を要求することの難しさだけではない。そもそも、この国には、社会的格差は国のアイデンティティだという、コンセンサスがあるように思えてならないのである。今回の大学運営交付金の削減に、聖域なき緊縮財政の名の下で社会の固定化をより進めようとする意図があると見るのは、さすがに穿ち過ぎであろうが。

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