「ニュー・レイバー」の遺産

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2009年08月10日

ニュー・レイバーという言葉が一世を風靡した時代を憶えておいでだろうか。12年前の1997年のイギリス。当時43歳のブレア氏率いる労働党が、サッチャー首相のあとを継いだメージャー首相(当時)の保守党に圧勝し、政権交代が実現した。保守党と異なるのはもちろん、従来の労働党とも異なる「新しい労働党」とのキャッチフレーズが国民の支持を得た。翌年にはドイツでもシュレーダー首相候補率いる社会民主党が、「新しい中道」を掲げて総選挙で22年ぶりに第1党となった。ドイツ統一の立役者であったコール首相の下で16年続いた中道右派政権は、コール首相の引退と共に政権を失ったのである。

イギリスの労働党とドイツの社会民主党は、どちらも伝統的に労働組合を支持基盤とする。社会的弱者を救済するためには政府が大きな役割を果たさねばならないとの主張を掲げてきた。しかし、それでは政権獲得に十分な幅広い支持を得られないとの意見が中堅・若手党員の間で主流となり、打ち出されたのが、「第3の道」とも呼ばれた従来に比べ中道寄りの路線である。

両党が政権交代に成功した背景には、サッチャー首相とコール首相という強烈なリーダーシップを持った首相の下で中道右派政権が長く続いたこともあった。1989年にベルリンの壁がなくなって東西ドイツが統一されたが、東西という対立軸が消えたことは、クロスボーダーの動きが非常に活発化する契機ともなった。マーケットの拡大は、別の見方をすれば世界的な競争激化ということで、その中で雇用コストの高い欧州は苦戦した。ところが、中道右派の長期政権はこの事態に対応しきれず、国民に閉塞感が高まった。制度疲労した古い政権ではなく、若いリーダーの引っ張る新しい政権への期待が高まったのは当然の動きであろう。

ブレア政権とシュレーダー政権は、実際に政権を担当することになると現実路線を採用した。すなわち、構造改革と財政健全化に取り組み、社会保障制度の改革(=削減)にも踏み込んだ改革を実行に移した。例えばドイツでは、所得減税と社会保障費用の負担減により雇用コストが抑制され、それが国際競争力の持ち直しに貢献した。一連の「改革」が評価され、シュレーダー首相は2002年、ブレア首相は2001年、2005年の総選挙でそれぞれ再選された。

ただし、シュレーダー首相の社会民主党は2005年の総選挙では第2党に転落。大連立政権のジュニア・パートナーの地位に甘んじることとなった。ブレア首相は2005年の総選挙でも保守党を抑えたが、支持率は年を追うごとに低下し、2007年半ばに首相を当時のブラウン財務相に譲った。次の総選挙はドイツでは今年9月27日に、イギリスでは来年6月までに実施される。最近の世論調査を見る限り、独社会民主党、英労働党とも野党に転落する公算が大きい。

かつてニュー・レイバーともてはやされた両党の支持率低下には二つの経路が考えられる。一つは労働組合という伝統的な支持基盤が磐石ではなくなっていること。もう一つは90年代末以降に獲得した比較的新しい支持者を失ってきていることである。従来からの支持者をつなぎとめようと、両党は低所得者への給付金や減税措置などを提案・実施してきているが、支持率回復にはつながっていない。むしろそのような「左旋回」に不安を抱いた中道志向の支持者を失ってしまっていると考えられる。昨年秋以降、イギリスもドイツも急速な景気悪化に直面し、両国政府は過去に例を見ない大型歳出を伴う景気刺激策を講じている。そのような対策の必要性は実感されているはずだが、一方で有権者の多数派が新政権に望むのは「大きな政府」ではないということであろう。

そもそもニュー・レイバーが台頭してきた時点で「大きな政府」との決別があったはずである。人口高齢化の着実な進展という現実を前に、有権者の期待は歳出拡大による大盤振る舞いから、安定的な経済成長と財政健全化の両立へと移りつつあったと考えられる。ニュー・レイバーの代表だった2つの政党が野党に転じる可能性が高まっているのは、有権者がニュー・レイバーが目指した政策に嫌気がさしたからではないだろう。両党が新しい道で目指したものを忘れてしまったからという気がしてならない。

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山崎 加津子
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金融調査部

金融調査部長 山崎 加津子