それは「デカップリング」ではない

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2008年01月22日

  • 児玉 卓
米国経済の停滞感が強まり、すでに景気後退局面入りかとの声も聞こえてくる。今後、米国と非米国、特に新興国との、いわゆる「デカップリング論」の現実妥当性が試されることになる。2007年の新興国経済は総じて好調だったが、それは新興国が米国から「切り離されて」いるからではなく、米国経済自体が比較的堅調だったためであり、本当のテストは、これからである。

そもそも論を言えば、デカップリング論の拠り所は、新興国の高成長と世界経済でのプレゼンスの拡大にあり、新興国の高成長は先進国との経済的リンケージを通じて達成されたものである。従って、完全なデカップリングなど本来ありえることではないのだが、新興国のプレゼンスに関する、いくつかの看過しがたい現実がある。

一つは、カネの流れの変容である。米国債などの安全資産を購入する一方、先進国からリスクマネーを取り入れるというのが、これまでの新興国の典型的な役回りだったが、今や産油国、一部アジア諸国の政府機関は、世界最大のリスクテイカーである。産油国についてみれば、リスクテイクの余裕を得たのは、原油価格上昇の結果、言わばタナボタである。しかし原油をはじめとした資源価格形成に重要な役割を果たす限界需要(需要の増分)は、やはり中国など新興国に依存している。そして、そのタナボタを、産油国はリスクマネーとして先進国に供給している。新興国・先進国の役回りの変化が、各国の相互依存の強まりを伴いながら進行しているということだ。

米国からすれば、5年前には想像すら難しかったラストリゾートが、国内経済の下支え役として登場した。新興国・産油国サイドにとっても、これは朗報である。先進国から新興国へ、という一方通行のリスクマネーの供給は、いずれ新興国で流動性過多によるバブルを膨張させずには置かないからだ。先進国・新興国で概ね固定されていた役回りが流動化し、マネーフローのルートが多様化していることは、グローバル経済と金融市場の安定化に資する要因である。これが米国経済の停滞下で明確化しているわけだが、起こっていることはデカップリングというよりも、グローバリゼーションの深化であろう。例えば中国は、グローバル経済の中で自国の立ち位置を確立することで、高成長を遂げた。その結果、グローバル経済における新たな役割を担い始めたということだ。これは、グローバリゼーションの米国スタンダードからの脱却と評することも可能かもしれない。

以上は言うまでもなく、国際的なパワーバランスの変化を伴う。米国にとって、アラブ諸国は今や単なる原油基地ではない。売り手の発言力は増すであろうし、イランなどへの米国の強硬姿勢に対する、中国、ロシア等の“No”の説得力も強まるであろう。しかし、これらが経済的な相互依存の強まりと表裏の関係として起きている以上、米国一極覇権体制の揺らぎ、多極化への移行は、政治的にも抑止力の強化、安定化要因とみなすべきである。

2008年のグローバル経済は激震で始まった。表層的な不安定性はしばらく続く可能性が高いが、これも過渡期における生みの苦しみに過ぎないと見るのは、いささか楽観的に過ぎるだろうか。

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