30年前の世界、30年後の世界

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2017年05月09日

  • 中里 幸聖

筆者は誕生日が来ると50歳になる。半世紀生きたことになるわけだ。わが国の最新の完全生命表(2015年、厚生労働省)によると男性の平均寿命(0歳の平均余命)は80.75歳であり、単純に考えればあと30年は生きる見込みである。もちろんもっと早く死ぬかもしれないし、100歳を超えるまで生き延びてしまうかもしれない。あと30年生きるということは、社会人になってから今日まで過ごした年月より長く、ある意味気の遠くなる話ではある。

30年前、20歳だった1987年は、日本はいわゆるバブル景気が盛り上がり始めた時だった。旧ソ連の最高指導者(当時の肩書は共産党書記長)はゴルバチョフ氏で雰囲気が変わってきてはいたが、数年以内に東西冷戦が終焉し、ソ連が崩壊すると思っていた人は少数派だったであろう。日常生活では、パソコンを使っている人は少数派だったし、電話は家では固定電話、外では公衆電話であった。国鉄が分割民営化されてJRとなり、整備新幹線は頓挫する形となった。

社会人になった1991年でも、会社に一人一台パソコンがあるのが普通とは言えなかったし、自動車電話は偉い人の社用車にはあったが、一般の人はポケベルが普通であった。JR東日本の上場は社会人になって間もない1993年であるが、整備新幹線は長野オリンピック(1998年開催)に向けた長野新幹線(北陸新幹線の一部区間)の建設が進み始めていたのが目立つ程度であった。

現在、パソコンは会社では一人一台が当たり前となり、インターネットを通じて世界とも繋がっている。業種や会社によっては、パソコンも古いとみなされ、タブレットやスマートフォンに取って代わられている。電話は自動車電話どころか携帯電話、スマートフォンと進化している。時計で動画通信ができるといった話に至っては、約半世紀前に放映された「ウルトラセブン」のウルトラ警備隊の世界が実現したとも言えよう。新幹線は北海道から九州までを走っており、整備新幹線の残り区間もほぼメドが立っている。さらにリニア新幹線が10年後には東京-名古屋間で開業し、20年後には大阪まで繋がっている予定である。

日々の日常と格闘していると気付きにくいが、30年前のSFが日常となっている。そう考えれば、今後30年でどのような風景が日常となるか想像が膨らむ。

AIやロボット等の進化の趨勢を考えれば、この30年で実現したこと以上のことが、次の30年で日常となるかもしれない。AIの発展により、ある業務の人々の仕事が奪われるといった議論がセンセーショナルに展開されてきたが、AIとロボットの融合発展、バイオ技術の進展等により、最早人々は生きるための仕事はしなくても良くなるかもしれない。そうなると、人は何をするのか。

縄文時代の日本は食料が豊かで、1週間に3時間も労働すれば、必要な食料を確保できたという話がある。縄文土器が複雑な造形をしているのは、暇を持て余していたからかもしれない。縄文時代の真偽は別にして、こうした観点で30年後を楽観的に想像してみるのも楽しいではないか。

真面目な話を追加すれば、基礎的な業務は全てAI等でできるようになったとしても、基礎的な業務を経験する道は残しておくべきであろう。複雑な業務に対応するためには、基礎的な業務の経験の蓄積が必要である。藤子・F・不二雄『21エモン』では技術が進んだ異星にて(※1)、ロボット警官で対応できない事象が生じて人間の警官が出てくる話が描かれているが、AIでできない事象に対応するには、AIでできる事象に対応できていることが基礎となる。

なお、国際情勢などについても色々と想像は広がるが、間違いなくキナ臭い話となるので、本コラムでは立ち入らずに話を終えることとする。

(※1)『週刊少年サンデー』(小学館)にて、1968年~1969年に連載。現状では小学館コロコロ文庫(全3巻)が入手可能である。本文中のエピソードは、文庫版3巻189~191頁。

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