川の向こうは"北朝鮮"

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2017年04月04日

  • 秋屋 知則

“そんなところへ行って大丈夫なの?”と妻に聞かれる。詳細を説明しないまま、ソウル行きの旅程に韓国と北朝鮮の“国境”へ出掛けるオプションツアーを組み込んだ。もちろん、自分なりに身の安全への確信はあった。しかし、折も折、ソウル到着の日に、日本海へミサイルが撃ちこまれたとのニュースが飛び込んできた。

実は、南北両国は今も終戦ではなく、休戦状態にある。その緊張緩衝のため、俗に38度線と呼ばれる休戦ラインから各2キロ、幅4キロにわたって「DMZ/非武装地域」(demilitarized zone)がまさに朝鮮半島を横断するように設定されている。それでも過去には相互に近接監視するエリアで、ポプラの木の伐採の是非で人命が奪われる事件すら起きたことがある。筆者が参加したのは、そんなDMZの見学だ。確かに無鉄砲に感じられるかもしれない。

そのツアーの目玉は、ソウルの北、わずか約50キロに位置する、停戦協定後、北側から秘密に掘ったという地下トンネル跡の見学だ。現在まで4本見つかっているが、中でも最大のものは、発見順で第3トンネルと呼ばれている。穴の高さ2mというが実際の内部はそこまで高くはない。ヘルメット必着で部分的には中腰で移動するが、北朝鮮から兵士が1時間に3万人移動できるという。1950年に始まった朝鮮戦争では、地上戦で押し込み、戻し返すアコーディオンのような攻防が行われた。だからトンネルの重要性は高かっただろうが、今や、北朝鮮が大陸間弾道弾開発に最注力しているのならば、かつての人海戦術が前提のような状況とは大きく変わっていると思われる。

その南北を隔てる軍事境界には川が流れていた。日本で、その名をイムジンガ(河)と言えば、時代の流れで放送禁止の憂き目にあった歌の題名を思い出す年配の方も多いだろう。ツアーのガイドも、韓国でも年配者では、祖国の分断を想起すると言っていた。敵対する両国間で自由な往来ができない中、生き別れの「離散家族」問題は、関係者も高齢化し、多くは未解決のままだという。

ソウル中心部から高速道路で小一時間も北上すると、川沿いは鉄条網と迷彩色に塗られた監視小屋が続くようになる。検問所で、バスの中に兵士が乗り込んで来て、あらかじめ申請した見学者リストとパスポートを照合した後、いよいよDMZ内に入る。ここからは許可されていない場所での写真撮影は禁止だ。展望台に昇ると、冷たい風が強く吹いたため、川の向こうの北朝鮮がよく見えた。「川幅は狭いところで約3キロ。北から泳いでも渡れる」とガイドが冗談っぽく言った。途中、道の両側には「地雷」敷設を示す三角マークが数多くぶら下がっていた。仮に越境できたとしても…と考えると、とても笑う気にはなれなかった。

しかし、一番驚いたのは、「最近、韓国の若い人は、イムジンガというと『遊園地』だと思う。」という説明だった。そんな危険な地域に、民間人が呑気に(しかも年間、のべ何百万人も)行けるのはなぜかに対する答えにもなるのだが一時的に南北融和が盛り上がった時、平和のシンボルとして、境界際まで鉄道を通し、駅を作るなどインフラを整備してテーマパーク、観光地化したのだという。周りには大きな駐車場、遊園地の乗り物も見える。「ソウルにいると不安だけど、もう慣れた。」とガイドは笑った。我々は、戦争を非日常だと認識している。徴兵制をとる韓国では、日常の中に戦争があるのかもしれないと思った。

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