どこでもドアとグローバル化

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2016年02月23日

  • 中里 幸聖

かつて東京ディズニーランドにあったビジョナリアムというアトラクションを覚えているだろうか。2002年に終了したので、現在、中学生以下の方はそもそも知らないということになろう。そのアトラクションでは、19世紀から20世紀初頭にかけて作品を発表したフランスのジュール・ヴェルヌ、19世紀末から20世紀前半にかけて作品を発表したイギリスのH・G・ウェルズの二人のSF作家が登場する。ビジョナリアムの主であるタイムキーパー(声は所ジョージ氏)によると、ヴェルヌのSF作品に登場する事象は大半が実現したが、ウェルズのSF作品は未だに不思議の中にある。その代表がタイムマシンということだ。

わが国でタイムマシンと言って、ドラえもんを全く連想しない人はかなり少数派であろう。タイムマシンと並んで、現代技術の粋を集めても当面は実用化しなさそうなドラえもんの道具としては、どこでもドアが筆頭格ではなかろうか。タイムマシンは時間を超え(空間移動機能もある)、どこでもドアは空間を超える。

時間と空間の議論は、時空という用語も含め、物理学、哲学などが扱う世界であり、経済学では時間、空間そのものを議論の対象にすることはあまりない(どちらかというと与件として扱う)。ここではA地点とB地点の距離を表すには、徒歩○分、○kmなど時間でも空間でも表現できるという程度にとどめることとする。

ドラえもんでも描かれているが、どこでもドアが実現すれば、鉄道は役割を終了するかもしれない。と同時に、真の意味での物理的なグローバル化が実現することとなろう。ただし、どこでもドアの巨大化は必要となろうが。

今のところ夢物語であることは承知の上で、時空を超えることが可能になれば、経済学の理論に近い状態が生ずることになる。グローバル化という現象を経済面で表現すると、地球が一体の市場になることである。現状では、物理的な制約によりグローバル市場とは言っても、ローカルな市場との垣根が完全に消失したわけではない。

グローバル市場の実現は、経済学の理論が正しいとすれば、世界経済全体の富の増大をもたらすはずであるが、分配の問題は別である。分配の問題をある程度解決できなければ、グローバル化は牧歌的な風景よりも殺伐とした世界を促進することになるであろう。

また、分配の問題を解決できたとしても、宗教をはじめとする各々の差異に寛容な社会が実現できなければ、グローバル化の進展はテロの可能性を増大させるかもしれない。大国間の戦争は、第二次世界大戦前に比べれば、ある程度コントロールできるようになってはいるが、小国同士の紛争やテロはかえって増大している。

どこでもドアは先の話であるにしても、交通網や通信網の飛躍的発展は、グローバル化の拡大・深化を促進し続けている。来る伊勢志摩サミットでもグローバル化に伴う弊害への対応が主題の一つであり、改めて、そうした弊害に真剣に向き合うべき時である。

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