テロに負けないモスクワっ子

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2015年12月16日

エジプトのシナイ半島発のロシア民間機がテロにより墜落した日、たまたま、家族でモスクワ市内に滞在していた。午前中に所用を済ませ、赤の広場からロシア運輸省の近くを通りがかったとき、やけに警備の数が増えて慌ただしく、何が起こったのだろうと思っていた。ホテル内で流れていた国営テレビの緊急放送で、ロシア航空史上最大の死者を出した墜落の事実を知ったが、マキシム・ソコロフ運輸大臣は週末に急に呼び出されたのか、普段着のまま記者会見を行っていた。

“テロの可能性は?”との質問に対し、現在、詳細を確認中との発言に留めた冷静な対応が印象的であった。既にロシアがシリアへの空爆を開始していたことから、直ぐにテロの可能性が頭をよぎった。特に夕方の便でロンドンに帰国予定であったため、尚更、警戒心が増した。ただし驚いたのが、空港内は平静そのもの、モスクワ市内の親戚に連絡をとっても、“テロの可能性も高いが、そうだとしても平常心で”との落ち着いた物言いだったことだ。

日本ではあまり大きく報道されないが、モスクワ市内は過去何度もイスラム過激派からのテロの標的となっている。(イスラム圏である)チェチェン共和国のロシアからの独立紛争が泥沼化し、2000年以降も大きなテロは10件近くに上り、死傷者は1,000人を超えている。プーチン大統領がシリア空爆に踏み切った大きな理由の一つに、テロとの戦いも挙げられるだろう。実はロシアは欧州の中でも、イスラム国への外国人兵士としての流入者が最も多いという不名誉な記録を持つ。ロンドン大学(キングスカレッジ)にある過激化・政治暴力研究国際センター(ICSR)の2014年の調査によると、ロシアから最大1,500人がイスラム国の外国人兵士として戦いに参加しているという(2015年時点では4,000人を突破したとのロシアメディアの推計もある)。プーチン大統領が最も警戒しているのが、シリア帰還兵の一部がモスクワで、11月のパリ同時多発テロのような事件を引き起こすことだ。

近年のロシアへの経済制裁の影響も重なり、ロシアにとって、イスラム国との戦費負担が苦しいことには違いない。高止まるインフレ率もあり、年金受給者には特に厳しい生活環境になっている。またEUからの食料品の輸入禁止により、某イタリアブランド品にそっくりなロシア産パスタや、某スイス産にそっくりなチーズなど至るところに経済制裁の影響が見られる。再開発ですっかり綺麗になったモスクワ市内とは対照的に、制裁前の賑わいは姿を消し、ショッピングセンターも客足はまばらで、市内レストランも空席が目立った。赤の広場にはかつて走っていたベントレーやマイバッハのような高級外車の影も乏しく、市内は様変わりしている。ただし、ソ連時代から窮乏生活に鍛えられ我慢強いロシア人は、いつもと変わらぬ前向きな姿勢を示す。我が娘もそんな血を引いているのかと、上達したロシア語を親戚と話す姿にたくましさすら覚える。

そんなロシアでも、少し贅沢な気分になれるのは朝食のときであろう。シャンパンとともに、バターを塗ったパンの上にキャビアをのせて食べるロシアンブレックファーストは有名だ。モスクワだけでなく、ロシア人観光客が多い欧州主要都市のホテルの朝食でも用意されるメニューである(以前、出張中のジュネーブのホテルでも発見)。ここでも経済制裁の影響なのか、ホテルのシャンパンはぬるく、キャビアの代わりにイクラではあったが、それなりの雰囲気は楽しむことはできた。来年、プーチン大統領の訪日の前に、安倍首相がロシアへの訪問を検討しているとのこと。ロシアとの様々なタフな交渉の前に、ロシアでの伝統的な朝食をぜひ楽しんでほしいと思う。

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菅野 泰夫
執筆者紹介

金融調査部

主席研究員 菅野 泰夫