“緊縮財政”の先輩ロシアから学ぶ、ギリシャ危機のレッスン

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2012年06月26日

先のギリシャ選挙で新民主主義党(ND)の勝利により、ひとまずギリシャのユーロ離脱を回避することはできた。しかし、ユーロ存続そのものを脅かしたギリシャ危機はこれで終わったのであろうか。スペインやイタリアといったギリシャより一回り経済規模が大きい国での根本的な対策はこれからとの見方が強い。今年の流行語大賞にノミネートされそうな“緊縮財政”の流れは、欧州ではまだまだ継続する可能性は高い。


欧州の緊縮財政の流行は今に始まったことではない。特にスペインやイタリアをはるかにしのぐ大国であり、過去、緊縮財政の課題を突き付けられた国が1998年の通貨危機時のロシアである。1998年でのロシア通貨危機を簡単に言えば、短期資金の急激な流出のために為替相場の安定維持が困難となり、最後はルーブルの大幅切り下げと国債の債務不履行に陥ったことだ。その破綻のトリガーを引いたきっかけとなったのは、IMFからの巨額な融資を見返りとする緊縮財政への要望に耐えられなくなったことといわれている。

今のギリシャは、1998年に通貨危機を経験したロシアと多くの共通点がある。雪だるまのように膨らんでいく財政赤字、経済停滞、債務不履行危機、投資家の不信感等々、重苦しい社会の雰囲気は良く似ているのであろう。但し異なる点は、緩和されたとはいえ選挙で“緊縮財政”をあえて選ぶ忍耐力ともいえる。


1998年夏、我慢の限界にきたロシアはIMFや国際コミュニティへの約束を破り、自国通貨のルーブルの切り下げを実施した。その後、国内銀行の預金を凍結させ、海外への返済モラトリアムを設けることとなった。結果は、ルーブルや株価が大幅に下落、インフレ率は、1998年末に80%まで達した。世界中の投資家から「ロシアは、二度と国際資本市場に戻れないぞ」との警告もなされた。

ただし、IMFの要望は、長い行列にも我慢強いことで有名なロシア人ですら困難であったといえる。デフォルトを選択する数年前のロシアは、国内通貨量をあまりにも圧縮しすぎていると考えられていた。手持ちのお金が不足する状況で増加したのが、“物々交換”と“偽札作り”といわれている。結果的に、ルーブルは通貨として役割を果たすことができない状況にあった。


ギリシャでは今回、ロシアと違って、国際コミュニティへの約束を守り、ユーロ圏に残ることを決めた。それによって、EU加盟国の間で、多少なる安堵感が広がり、投資家からの信用を何とか取り留めることができた。ひとまずギリシャのユーロ離脱回避を歓迎する声も大きいが、通貨切り下げが実現できたルーブルと、ドラクマに戻らないギリシャでは、その後の景気回復のシナリオは大きく違う可能性が高い。なぜならば、ギリシャの場合には、統一通貨であるため一国で通貨政策をとることが出来ず、経済競争力を他の方法で回復せざるを得ない。経済効率を上げて財政を立て直すために、政府や国民の努力はもちろんのこと、時間とブリッジローン(つなぎ融資)が必要である。

通貨危機後、石油価格高騰という神風が吹いた“資源大国”ロシアのように、オイルマネーに代わる資源がないギリシャが、緩和されたとはいえEUやIMFの緊縮財政の要望を今後も果たしきれるのであろうか。ギリシャだけでなく、スペインやイタリアといった国も財政難の状況で、既に資金の目途が立たない国際支援を考えれば、今の緊縮財政よりも、国内経済に活気を与える景気対策が必要ではないか。通貨危機の先輩であるロシアから学べるレッスンとして、“緊縮財政”という薬は、全てにおいて効果が高いとは限らないと言えるだろう。

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菅野 泰夫
執筆者紹介

金融調査部

主席研究員 菅野 泰夫