「国民の暮らしを守る」観点

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2012年05月29日

  • 中里 幸聖
「鼓腹撃壌」-中国の歴史読本である「十八史略」に出てくる言葉であり、太平の世を示す。学校の授業で習った記憶がある方も多いであろう。聖天子とされる帝堯が、天下が本当に治まっているのか確かめようと市井に出た際に、老人が「帝力何有於我哉」(「帝の力が、どうして私に関わりがあろうか」の意)と楽しげに歌っていたのを聞いて、安心したという(詳細はネット検索でも。これを機会に漢文等の教科書を読み返すのもお勧め)。

「高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどはにぎはひにけり」-新古今和歌集掲載の賀歌で、仁徳天皇御製以外の説もあるようだが、いずれにしても仁徳天皇の治績に関わるものである。人家のかまどから炊煙が立ち上がってないのに気づき、租税を免除し、3年後に改めて高台に上って民の生活が豊かになってきたのを確認したということを詠んでおり、仁徳天皇の喜びの気持ちを表したものである。こちらも学校の授業などで聞いたことがあるのではないだろうか?

これらを史実とみるかは見解が分かれるであろうが、「良い政治」の姿として語り継がれてきたことは間違いない。つまり、民が安定した暮らしを営めるようにするのが良い政治であるという価値観である。

帝堯や仁徳天皇の時代のようなある意味牧歌的な「くに」と近代国家、特に近代資本主義成立以降の近代国家を同列に論じることは飛躍がある。しかし、政治家の使命、国家の役割が国民の暮らしを守ることに第一義があることは変わりない。国民の暮らしを守るために必要な施策の優先順位を決めるのが政治家の使命であり、それらを効果的に実施するのが官僚の務めである。

今さら言うまでもないとのご指摘もありそうだが、現実の状況は、「国民の暮らしを守る」という観点がかなり後背に追いやられているように見える。「国民の暮らしを守る」ことを第一義として考えて、考え得る施策の優先順位を付けて行くことにより、必要な歳入と歳出も決まってくるのが本義である。もちろん、現実には様々な経緯等もあるが、「社会保障と税の一体改革」は「国民の暮らしを守る」ために有効なものとなっているかが問われる。

また、「国民の暮らしを守る」ことは、国際的な観点からは国益を守ることであり、国益の基本はまずは安全である。そのために必要な財源はなんとしても捻出しなければならない。

国の債務の話題では、家計や企業に例えて説明されることもあるが、国家、企業、家計では自ずと異なる役割、行動原理があり、同一の尺度で測れることばかりではない。「社会保障と税の一体改革」をはじめとして、昨今の政治経済に関連する議論は、今後のわが国のあり方に大きく関わるテーマに溢れているが、ぜひとも「国民の暮らしを守る」という原点を見据えて、国家の目指すべき姿を念頭にした議論が望まれる。

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