「ロンドン報告 2012年冬」 イングランドのサッカー、或いはLevel(the)playingfield

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2012年01月26日

  • 児玉 卓
Level (the) playing fieldとは、フェアな競争条件を整えるといった意味であり、資本のモビリティが高まる中での金融規制や税制のグローバルな調和の重要性といった文脈で使われることが多い。もっともこの言葉、元はスポーツに発した慣用句である。そのことはロンドン郊外の草サッカー場などに行くとよくわかる。

それは、ピッチが丘陵の斜面にあったりすることが少なくないからだ。自陣の有利・不利は、風向きや日差しなどの気象条件に加えて、地理的条件にも左右されてしまう。その対策といえば、前半後半で陣地を変える程度しかされていないのだが、Level (the) playing fieldという言葉が日常化、一般化したのは、競争条件の平準化が実のところ非常に困難な作業であることの裏返しでもあるのかもしれない。

英国のサッカー少年、少女の多くは、このような平らではないピッチを日常的に経験している。彼らが繰り出すゴロのパスは斜面の上に蹴るか下に蹴るかで強さを変えなくてはならないし、しかもピッチのほとんどは手入れの良くない芝生だから、意に反した転がり方をしたりもする。もちろん、ゴルフと違って、芝目を読んだりしている暇はない。結果として、パスの技術が極限まで磨かれる、のではなく、彼らは細かいパスを繋ぐことを避け、自らドリブルで突っ走るか、それが駄目なら前線に大きな浮き球を送ることを選択する。イングランドのサッカースタイルは、自然条件というか、自然条件そのままにピッチを作ってきた歴史の所産なのだろうと勝手に納得している。もっとも、プロの世界ではこのスタイルでは勝てなくなってきている。プレミアリーグは世界最高峰のプロリーグといわれるが、イングランド代表チームはそれほど強くない。これも前者でウィンブルドン現象が進行していることの自然な帰結である。プレミアリーグの下位や二部以下のリーグでは、英国人監督の下でイングランド的サッカーに邁進しているチームが少なくないのだが、上位チームにはなかなか勝てない。そして(例外はあるが)上位チームに行けば行くほど、外国人選手のプレゼンスが大きくなり、国際標準(?)のパスサッカーを展開している。

さて、プレミアリーグのレベルの高さが、外国人選手に少なからず負っているとすれば、それを可能にしているのは彼らを獲得できる各チームの財政力である。そして、その財政を支えているのが、有料衛星放送の登場などを契機として90年代以降に急騰したテレビ放映権料ということになる。プレミアリーグが受け取る放映権料は昨季(2010-11年シーズン)でドイツ・ブンデスリーガの約10倍、イタリア・セリエAの約5倍とみられている。

これは当然ながら様々な副作用を生んでいる。放映権料の負担は視聴者に転嫁されるわけだから、プレミアリーグの生放送が有料衛星放送に独占的に提供されるようになった結果、労働者階級の大衆スポーツとされてきたサッカーを同階層に属する多くの人たちが家で視聴できなくなった。大人はパブに行けば良いが、子ども達はそうはいかない。良質なパスサッカーを目の当たりにすることなく、彼らの多くは草サッカーで英国人コーチにイングランドのサッカースタイルを叩き込まれるままになってしまう。となれば、プレミアリーグのウィンブルドン化は止まらず、イングランド代表チームは強くなれないという状況が長く続いてしまうのだろう。

或いは、安くはない衛星放送の視聴料を払っている家庭から、将来のスターが生まれるのだろうか。それはどうやらありそうもないシナリオだ。イングランドの子ども達は、16歳前後でプロ契約し、学業をやめてしまうことが多いといわれる。『「ジャパン」はなぜ負けるのか(原題は“Soccernomics”)』の著者の一人であるサイモン・クーパーという英国のジャーナリストは「イングランドのフットボール選手には二つのタイプがいる。ひとつは労働者階級の出身者、もうひとつは下層階級の出身者だ」とあるコラムで書いている。やはり英国は階級社会なのだ。中流階級出身の子どもにとって、プロ選手を目指すことはチャンスとリスクの兼ね合いから見て、あまりに冒険的に過ぎるのだろう。

階級格差が所得格差という裏づけを伴うとき、それは教育の機会などを通じ、世代を超えて再生産されてしまう。サッカー漬けで育ってきたもののトップチームに定着できないあまたのプレーヤーが若くして引退し、彼らが子ども達の草サッカーのコーチや監督になる。そしてイングランドのサッカースタイルの伝道師になる。ここでも一種の再生産が行われるのだ。Level (the) playing fieldの実現の、いかに困難であることか。

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