混合診療について考える

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2007年11月28日

  • 齋藤 哲史

今月7日東京地裁が、「混合診療の禁止は違法」との判決を下したことから、混合診療の議論が再燃してきた。筆者は臨床に従事していた経験もあって、医師や医療団体の主張と意を同じくすることが多い。公的医療費を増やすのは無論のこと、費用対効果の高い治療法はできるだけ早く公的保険に適用すべきだし、ましてや保険の範囲を縮小して民間保険の拡大を図ることなどもっての外だと考える。それこそ、医療の米国化であり、命の値段が経済力によって決まることに成りかねないからだ。

しかしながら、混合診療の禁止には全く賛同できない。患者の「選択の自由」は尊重されるべきだし、自由診療を併用することで、保険診療分までが自費扱いになるという仕組みに、どうしても納得がいかないからである。

それに対して、混合診療に反対の立場からは、(1)安全性の確保が困難、(2)金持ち優遇、(3)皆保険の崩壊につながる、が禁止理由としてあげられているが、これらの主張は全て的外れといえる。

例えば、安全性と選択の自由を天秤にかけた場合、通常であれば、前者を優先することに異論はない。しかし、混合診療を利用したい患者は余命宣告されたケースが多く、そのような患者に安全性云々を言うのは筋違いであろう。それに、安全性を確保したいのであれば、患者に混合診療禁止というツケを回すのではなく、医師を取締まる方が先決である。通常、治療の選択肢を示すのは医師であるから、医師が医学的根拠に基づかないエセ医療を推奨しなければ、患者が損害を被る機会はないに等しい。また、患者が非常識と思える治療法を申しでても、医師がその良し悪しを見極めさえすれば、安全性の確保は可能である。つまり安全性は医師次第であり、患者の不利益となるような治療を推奨する医師は、免許剥奪といった罰則を課せばよいのである。

(2)も、今回の裁判のケースを見れば誤っていることは明らかだ。保険給付で7万円/月ですむものが、全額自費扱いとなったため20万円/月に増えたわけで、どちらが受診のハードルが低いか考えるまでもないだろう。

(3)の皆保険崩壊(=公的範囲縮小)については、混合診療というより、むしろ財源論の問題である。財源さえ確保できれば、混合診療の解禁=保険縮小ではなく、解禁=保険拡大も選択肢もあるわけで、現に保険外併用療養(※1)の対象が増えても、保険給付対象の治療は増加している。

結局のところ、これらの反論に説得力はないし、仮に百歩譲って主張を認めるにしても、保険診療分が全額自費扱いになる説明となっていないのである。

何らかの行為が「禁止」されるのは、基本的に、公共の福祉に反する場合であろう。例えば、交通違反や差別、独占などだ。混合診療に関しては、解禁したところで誰に迷惑をかけるわけでもない。それどころか、明らかに患者の権利侵害である。前述したように、混合診療を希望するのは、末期がんなど余命宣告受けた患者に多いと推測される。選択肢を奪われ、絶望の淵にたっている患者の願いを医師や行政が拒絶するのは僭越ではないだろうか。

そもそも、混合診療の禁止は行政独自の解釈であり、健康保険法にそのような規定があるわけではない。一審判決とはいえ、最終的な法令解釈権が司法にある以上、国や医療関係者はその判断に従うべきであろう。

(※1)「評価療養」と「選定療養」がある。「評価療養」とは、将来、保険給付の対象とすべきかどうかについて、医療の効率的な提供を図る観点から評価が必要な療養(先進医療,医薬品や医療機器の治験に係る診療等)をさす。「選定療養」とは、保険導入を前提としない療養(差額ベッド等)をいう。「評価療養」及び「選定療養」を受けたときには、療養全体にかかる費用のうち基礎的部分については保険給付をし、特別料金部分については全額自己負担とすることによって患者の選択の幅を広げようとするものであるが、これも実際には混合診療である。

<参考>
大和総研コンサルティングレポート『混合診療に関する問題』
大和総研コンサルティングレポート『混合診療解禁問題の論点整理』

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