菅野沙織クリック!アジア

第7回 ロシアはASEANのメンバーに?!

2010年10月13日

「ロシアはASEANのメンバーに?!」というほどではないが、そう思われるくらいに、90年代半ばから積極的に発展してきたASEANとロシアとの関係は、今月、さらなる急展開を迎えようとしている。今年7月、ハノイで開催されたASEAN外相会議で、東アジアサミット(現在はASEAN10ヶ国と日中韓およびオーストラリア、インド、ニュージーランドの16カ国からなる)は、アメリカとロシアの加盟を認めることで合意した。そして今月、ハノイで開かれるASEAN首脳会議で露米参加が正式に承認される見通しになっている。

ASEANとロシアとの関係をみると、1991年にロシアの首相がマレーシア政府の招待を受け、クアラルンプールで開かれたASEAN大臣会議にゲストとして参加した。その後、1996年にはジャカルタで開かれた同様の会議にてロシアにはASEANとの「対話のパートナー」としてのステータスが与えられ、政治・経済・文化等、多様な分野での関係構築がスピードアップし始めた。

ASEAN事務局のデータによれば、ASEAN・ロシア間の貿易高は2006年には44億ドルであったが、2009年には1.5倍に増加して68億ドルになった。ロシアの対ASEANの直接投資額は、2006年にわずか1.2百万ドルであったが、2009年には157.3百万ドルに達した。

さらに2009年7月にモスクワにASEANセンターを設けることについて合意がなされ、今年6月、モスクワ国際関係大学(名門中の名門!)内にASEANセンターが開設された。

協力関係分野で言えば、エネルギー分野への注力が目立つが、通信、食の安全なども双方にとって関心の高い分野である。

どうしてロシアはASEANと関係の強化に乗り出したのだろうか、と少し驚く方がいらっしゃるだろう。「いや、当然だろう。中国やベトナム、ラオスなど共産党政権の国はソ連時代からロシアとの関係が強いので、特に驚かない」という人もいらっしゃるはず。

しかし、アジアに対するロシアの関心が、ソ連時代ではなく、帝政ロシア時代にも見られたことについてご存知の方は、それほど多くいらっしゃらないかもしれない。19世紀末から20世紀にかけて、あるロシアの銀行が、ヨーロッパ・アジア間の架け橋の役割を果たしていたことについて知っているロシア人も多くないだろう。その銀行の名は、ロシア・アジア銀行(1910年~1926年)。当時のロシアの商業銀行の中でトップの座を占めた事もある銀行である。

ヨーロッパとアジアとの架け橋だったロシア・アジア銀行

フランスのソシエテジェネラルは、1901年、サンクトペテルブルクでノースバンクを設立して、19世紀に始まったロシアでの事業を拡大させた。1910年にノースバンクは、ロシア・中国銀行(フランス資本が参加し、1895年設立、1986年に上海支店を開設。中国政府へ融資、中国国債発行などの取引を行なった。中国語の名称は「華俄銀行」)と合併して、ロシア・アジア銀行が誕生した。1914年にロシア・アジア銀行は、帝政ロシアのトップ商業銀行になり、総資産は624百万ルーブルで、当時、商業銀行セクターの総資産の14%を占めていた。ロシア・アジア銀行は、ヨーロッパとアジアとの間の貿易を促進する役割を担って、シルク、穀物、銀などの国際貿易のファイナンスに携わっており、公債の発行も行なっていた。1926年9月に、この銀行はパリ金融市場にて外貨取引の大損を被って、16年間の輝かしい歴史の幕を閉じた。

ロシアの民芸品は外国人に人気

今回、ASEANとの関係構築へのロシア側の積極さをみると、「すべての新しいことは、完全に忘れられた古いことに過ぎない」(Everything New is Well-forgotten Old)というロシアの古いことわざを思い出す。10月に、ロシアが東アジアサミットのメンバーになった後、仮にロシア・ASEAN銀行が誕生したというニュースが流れても、私はもう驚かないと思う。いすれにしても、今年のASEANサミットやその後の動きから、目を離せない。アジアはますますトレンディーな地域に。

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