地域主権時代における水道事業の評価手法「水道版バランススコアカード」

RSS

このほど厚生労働省のホームページに「水道事業の統合と施設の再構築に関する調査について」が掲載された(※1)。ここでは先に実施された「水道事業の統合と施設の再構築に関する調査」にかかる報告とともに、具体的な成果物として手引き書「水道版バランススコアカードを活用した事業統合効果の評価検討書」(以下「BSCを活用した評価検討書」という)が提示されている。小規模分立する水道事業が統合することで得られる水道サービス向上についてその奏功メカニズムを解明し、これを踏まえ、水道事業者が統合を検討するにあたってそのメリットを評価し、住民はじめ利害関係者に説明するツールを開発するというコンセプトで取組まれた調査研究である。その詳細は講を改めて説明するとして、本稿ではなお広く、財政の自立が求められる地域主権の時代において、この評価及び説明手法がどのように役に立つか述べてみたい。

そもそも説明が必要な理由

我が国の課題のひとつに、高度成長期に集中整備した社会資本の維持更新がある。最も身近なライフラインである水道も例外ではなく、老朽化が進み今後大量更新期を迎える見通しである。また東海、南海、東南海の3大地震がとりざたされている一方で、水道施設の耐震化は一向に進んでいない。厚生労働省の調査によれば全国の主要水道管のうち震度6強程度に耐えられるものは全体の約3割に過ぎない。こうしたわけで今後水道施設の更新ないし近代化投資が増えてゆくと見込まれている。


一方、先立つものを考えるといささか心もとない。事業者が施設更新や近代化を進めるにあたって通常は地方債を起債して資金を得る。地方自治体の信用の下、非常に安い金利で調達できる。しかし今後もそうだろうか。その低い金利水準が、いざというときに国が何とかしてくれるという「暗黙の政府保証」を頼みにしたものならば、膨張を続ける国と地方の債務残高を考えたときそれが将来に渡って持続可能なシステムであるとはいい難い(※2)。「必要だから」というだけで中央が地方に仕送りすることは難しくなろう。ひるがえって地方財政には自立と規律が求められる。証券化、地域ファンド、レベニュー債など民間調達に関する多様なアイデアが俎上に載っているが、いずれにしても資金使途と投資効果、将来に渡る財政の持続可能性を地域住民や資金の出し手に対してわかりやすく説明し、彼らの理解と納得を得た上で事業を進める仕組みが前提となることに変わりはない。地域主権の時代、とりまくステークホルダーに対する説明責任は今後ますます重要になってくるだろう。

誰に何を説明するのか

民間調達を視野にいれた場合、まずは資金の出し手にその回収可能性をリスクとともに説明しなければならない。暗黙の政府保証が剥落したときにあらわになる事業体の実力が知りたい。これについて、「BSCを活用した評価検討書」では資金調達力を評価する方法としてあげられた「修正損益計算書」、そしてこれを基に計算する財務分析指標が応えている。「債務償還年数」等の分析指標をもって返済能力を評価し、あわせて損益計算書を示すことで分析指標の構造を「見える化」してあげるのだ。こうして資金の出し手は安心を得る。このことについては、「水道事業の資金調達力を診断する~水ビジネスの新たな展開に向けて~」(※3)に書いているので参照願いたい。


肝心なのは水道サービスを享受する地域住民である。地域住民は水道サービスに何を期待しているか。それは、1日24時間いつでもどこでも、たとえ大地震が起きようとも蛇口を捻れば飲める水がでるというもので、より象徴的にいえばこうしたことに由来する安心感を期待している。このようなミッションに鑑みて水道サービスを提供できているか、水道事業者が自ら評価して、それをトイレの水にも清潔を求める地域住民に説明しなければならない。現状だけではない。将来に渡って水道サービスを維持できることも安心感のひとつである。その根拠は何か、たとえば施設の近代化が必要となるが、そのためには財政基盤を充実させておかなければならない。先ほど説明した債務償還能力であるが、この文脈からは「財政の持続可能性」を証明する指標となる。水道版バランススコアカードでは、これを水道サービス向上に必要な財政基盤を示すものとして「資金調達力」という観点を採用している。このように、地域住民に水道サービスの向上について説明するにあたっては、水道サービスの質的向上のみならず、その過程である資金調達力、施設の更新ないし近代化など複数の観点で評価することが必要だとわかる。

いかにして説明すべきか

そこで水道版バランススコアカードの出番となる。バランススコアカードとは能力向上、財政、業務プロセスそして顧客満足の4つの視点による業務管理指標をバロメーターとして戦略行動を管理するワークシートであるが、これが公営企業によく適合する。本来的に独立採算制の原則と住民サービスの向上を両立させなければならないからだ。水道事業でいえばどうか。地域住民に対して水道サービスの向上を説明するにしても、浄水器なしで水を飲む人の割合が向上したり大地震が発生したときの断水率が低下することだけでなく、その根拠もあわせて説明しなければならない。まずは資金調達力と技術能力を強化して、施設の更新及び近代化、そして運営の高度化を図るというプロセスがある。これら複数の観点をバランスよく評価・説明するのが水道版バランススコアカードである。複数なのは観点だけではない。資金の出し手、地域住民その他のステークホルダーに対してそれぞれの立場に応じた情報を提供することができることも特徴である。また、相手に納得してもらうためには目標を明確にしなければならないが、これには計数化が有効だ。バランススコアカードの「スコアカード」にはそのような意味がある。ゴルフのスコアカードを想像されたい。水道施設の近代化なら「管路事故率」「漏水率」などの業務指標によってその進捗度合が評価される具合である。


「BSCを活用した評価検討書」においては、老朽化など問題を抱えた水道事業者が、その解決策として事業統合を選択するべきか見送るべきかを検討するケースを想定した上で、事業統合がいかに水道サービスの向上に役にたつかを水道版バランススコアカードで評価・説明している。ポイントは、水道事業の合併が必ずしも住民サービスの向上につながるというわけではないということだ。「規模の利益」が住民サービスの向上をもたらすという単純なものではない。給水区域の広域化による水需要の平準化を踏まえ、これに適合したシステムの再構築によって財政基盤と技術基盤が強化され、これを活かしてさらに施設の近代化や運営の高度化を図ることによってようやく水道サービスの向上に達する。要するに事業統合が住民サービスの向上に至るまでにはいくつかのステップがあり、脈絡に沿って戦略的に事業を運営していかなければならないということだ。こうした認識が「BSCを活用した評価検討書」の前段にある。


水道版バランススコアカードの活用事例においては、問題ある施設を個別に修繕あるいは更新してゆくパターンと、事業統合を伴い水道システムを再構築するパターンを天秤にかけ、水道版バランススコアカード内の各視点にぶらさがる計数を比較することで事業統合効果の有無を判断している。ここで策定されたバランススコアカードの体系は、技術力と資金調達力を鍛え、施設近代化と運営の高度化というプロセスを経て水道サービスの向上に至るナビゲートシステムでもある。だからこれを「戦略マップ」ともいう。このような目でみると、各視点に属する小グループの見出しとぶらさがる分析指標は、目指すべきビジョンやそこまで至るステップ毎の「道標」のようなものだ。水道版バランススコアカードは水道事業の将来ビジョンとそこに至る戦略的行動をすべてのステークホルダーの間で共有するシートでもある。もちろん経営者にとっては進捗管理の役に立つ。

事業統合を例とした水道水バランスカードの体系

このように、「水道版バランススコアカード」は統合効果の評価・説明のみならず、経営戦略の策定と管理について応用が利くものである。地域水道ビジョンの策定及び推進、水道事業の年次報告などに活用されることも期待している。自立と規律が求められる地域主権時代において、水道版バランススコアカードが地方財政の新たな問題解決の手段となることを願ってやまない。

(※1)本稿で紹介する「水道事業の統合と施設の再構築に関する調査」は、大和総研金融・公共コンサルティング部が厚生労働省から委託を受けて実施したものである。
「水道事業の統合と施設の再構築に関する調査について」
厚生労働省トップページ>水道情報>報告書・手引き等>水道事業の統合と施設の再構築に関する調査報告(平成22年3月)http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/suido/houkoku/suidou/100908-2.html
(※2)「膨張を続ける国と地方の債務残高『あと5年は大丈夫』か?」(2010年5月26日付コンサルティングインサイト)を参照のこと。
(※3)「水道事業の資金調達力を診断する~水ビジネスの新たな展開に向けて~」(2010年4月14日付コンサルティングインサイト)
(※4)本稿では、更新投資に必要な資金を民間調達することを視野に、投資可能性の評価と説明の手法として水道版バランススコアカードの活用を提案しているものであるが、これが実現をみるためには大きく2つの課題を克服しなければならない。次の記事を参照のこと。
レベニュー債はなぜ実現しないのか」(2009年12月9日付コンサルティングインサイト)

このコンテンツの著作権は、株式会社大和総研に帰属します。著作権法上、転載、翻案、翻訳、要約等は、大和総研の許諾が必要です。大和総研の許諾がない転載、翻案、翻訳、要約、および法令に従わない引用等は、違法行為です。著作権侵害等の行為には、法的手続きを行うこともあります。また、掲載されている執筆者の所属・肩書きは現時点のものとなります。

関連のサービス