財務省は自治体の何を「診断」するのか?

~一括交付金制度で変わる地方財政の見方~

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地方自治体のメインバンクたる財務省は、貸出先である地方自治体の財務内容を毎年精査し、何らかの懸念がある先を抽出してヒアリングを実施している。貸出返済の確実性を担保するために行うもので、状況次第で融資審査が厳しくなるというものである。今年からその結果を「診断表」にまとめてヒアリング先に渡すことになるようだ。


「財務省、市町村に財政カルテ…融資の判断にも」
平成22年4月16日 読売新聞


「カルテ」とは的を射た喩えだ。自治体財政を診断するのも医者が行う患者の診断と本質的には同じ行為だからだ。財務状況ヒアリングは定期健診で生活習慣病を見つけることに喩えられよう。まず検査数値をスクリーニングして正常範囲にないものを洗い出す。要再検の先には腰を落ち着けヒアリングをする。ここで候補に上ったいくつかの病名を精密検査で検証した後に確定診断にいたる。こうした診断手続きの底流には仮説と検証からなる問題解決手法がある。同じようにカルテ執筆の方法論としては問題指向型診療記録 (Problem Oriented Medical Record、POMR)というものがある。押さえておくべき4大ポイントの頭文字をとってSOAP方式ともいわれる。


S(Subject):不調の訴え、既往歴などヒアリングによって得られる主観的データ
O(Object):検査値など客観的データ
A(Assessment):評価-主観的、客観的データを踏まえて病名をつけること
P(Plan):評価によって明らかにされた問題に対する治療方針


財務省が自治体に手渡す「診断表」もこれと基本的に同じ構成になっている。
第1の主観的データ(S=Subject)。新聞報道や評判、ヒアリングによって得られる定性情報である。市民ホールが古くなって手入れもせずオンボロになってきたとか、アテのない資産売却収入を予算計上して歳入歳出のつじつまを合わせたなどとにかく困っている状況のことをいう。喩えれば昨年放映されたNHKドラマ「再生の町」に出てきた「なみはや市」のような感じである。診断表に記載されるとすれば財政悪化の現象面として触れられる。


第2は客観的データ(O=Object)である。診断表では「債務償還可能年数」、「有利子負債月収倍率」、「行政経常収支率」及び「積立金等月収倍率」の4大キャッシュフロー分析指標が検査値として扱われ、その経年推移が折れ線グラフの形で示されている。有利子負債月収倍率は経常収入に対する借入残高の比で「借り過ぎ」をチェックする指標。身長に対する体重の比率で示す肥満の指標に似た形だ。経常収入に対する行政経常収支の比率は行政経常収支率という。これで何をチェックするか。行政経常収支率にかけて基礎代謝力と解く。その心は脂肪(=借入)を消費(=返済)する能力だ。行政経常収支は経常的な行政サービス活動から発生するキャッシュベースの利益金で、返済に回せるお金である。


そして肥満度のチェック指標である有利子負債月収倍率と基礎代謝力を現す行政経常収支率を組み合わせた債務償還可能年数で、突然死を引き起こす病的な肥満かどうかを判定する。返済原資たるキャッシュフローを作り出す力と借入の大きさの関係で支払停止するリスクを測るのだ。


第3は「評価」 (A =Assessment)である。診断表には債務高水準、積立金等低水準、収支低水準の3つから病名を選ぶような形式になっている。平たく言えば「借り過ぎ病」と「キャッシュ創出不足病」誤解を招くといけないがもっと簡単にいえば「金欠病」だ。返済能力、別の言い方をすれば財政の持続可能性が健康体の基準になっている。


財務省は自治体の何を「診断」するのか。返済能力ひいては財政の持続可能性を診断している。経済的にみれば生きるも死ぬもキャッシュ次第。だから、キャッシュフロー分析指標で仮説を立て、診断上の確信を得るべく財務省方式地方公会計たる行政キャッシュフロー計算書によって要因分析をしているのだ。


健全化判断比率があるからよいではないかという声も聞く。そんなことはない。ならば銀行経営をみるのに自己資本比率だけでよいことになってしまわないか。銀行経営を診断するのに業務純益の分析はじめ財務分析が必要であることは当たり前過ぎて議論にもならない。健全化判断比率は行政措置の発動基準であり、この基準に抵触しないようにすることにキャッシュフロー分析の観点と意義がある。


総務省方式の地方公会計に拠った財務4表があるから十分だという話もたまに聞く。そもそも地方公会計には資産債務改革の文脈がある。バランスシートには売却可能資産がリストアップされ、資産圧縮が促される。行政コスト計算書が示す正味コストは、保有施設を売るべきか売らざるべきかを仕分ける選択基準のひとつとなる。それはそれで重要な意味があるが、そこで示されるのは財政状態ではなく、返済能力ひいては財政の持続可能性を診断するものではない。財政の持続可能性をみるにあたってキャッシュフロー経営がいわれて久しいが、地方公会計が追及しているのはそれとは逆の発生主義の観点である。


診断表の報道と前後して地域主権の目玉政策である一括交付金がこのほど閣議決定されたが、これは財務省方式地方公会計と診断表の必要性を高めるように働くだろう。
去る6月22日に閣議決定した「地域主権戦略大綱」では国が使途を特定する「ひも付き補助金」を平成23年度から自治体が自由に使える一括交付金化することなどが盛り込まれた。
一括交付金化を夫婦間のお金のやりとりに喩えれば、必要なときに必要な分だけ貰っていたお金を「小遣い制」に変えるようなものだ。ひも付き補助金制度の下では、それがいかに必要であるかをアピールし、なるたけ多めに…「余裕をもって」計上し、余すことなく使い切る(ときに使途をごまかしてへそくりを作る)のが正しい努力となる。これが小遣い制になれば使い道を真剣に吟味し万事節約するようになる。出張旅費であれば上限ぎりぎりのホテルを選んでいたのが定額制になったとたん格安ホテルに変わるようなものだ。読者にも思いあたる節が少なからずあるだろう。


小遣い制にすると自由度が増す分、資金繰り表のチェックが必要になる。何に使ってもよいかわりに、使い方を誤って後で資金が足りなくなっても補てんはされない。だから予算をきちんと使い切ったかよりも、月末支払に間に合うだけのキャッシュをしっかり残せるかに財政運営のフォーカスポイントが変わる。舵取りにあたって情報源としての重みを増してくるのは換金性のない資産をリストしたバランスシートよりもむしろ支払能力を示した行政キャッシュフローである。


一括交付金制度の本格導入で、お金の使い方と財政運営のかんどころが変わることが予想できる。地域住民の立場に立ってみれば、公共の福祉が増進するようにお金を使ってもらうに越したことはないが、その一方で「こうしたところに〇〇億円使えば10年以内に50%の確率で借り過ぎ病を発症し、そこから数年後に資金ショートを引き起こす」のような重要リスクは納得するまで説明してほしい。そのためにもキャッシュフロー分析を踏まえ財政の持続可能性に関する評価をサマライズした「診断表」は重要だ。診断表に辛口のことが書いてあったとしても、包み隠さず広く公開してほしいものだ。


SOAP方式の最後は治療方針(P=Plan)である。先の記事には財政状況が悪い自治体には融資条件や審査を厳しくすることも今後検討するとも書いていたが、むしろ興味深いのは改善すべき点を指摘し、財務省の担当者が改善アドバイスを行うという点だ。財政融資のセーフティネット機能に鑑みれば、返済懸念に陥った地方自治体に対する方針は、即時回収よりむしろ地方財政の「治療」の色合いが強い。


「自治体財政把握へ 財務省 国融資先対象に「診断表」 改善アドバイス」
平成22年5月10日 NHKニュース


財務省が自治体を財政診断するにおいて、強みは融資実務の内に数多くの改善事例を持っていることだ。救急箱には財政融資という膏薬がある。いつもは銀行をそれで指導しているリレーションシップバンキングの理想を体現していることは想像に難くない。一括交付金制度の本格導入で財政運営の選択肢は飛躍的に拡がるが、収入と支出のバランスを崩して自己責任の狭間に落下してしまうことのないように、財政の定期健康診断を通じ財政規律を利かせてもらいたいものだ。


(参考)財務省HPより「地方公共団体の財務状況把握」

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