韓国:MERS経験の示唆

グローバル化の陰で高まる感染症リスク

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  • 金融調査部 研究員 中 澪

「MERSの発生地域に行きましたか?」「呼吸器症状はありませんか?」——。7月に出張したミャンマーから帰国した後、40℃近い高熱が出た私は、救急車の中で隊員の質問攻めに遭っていた。乗り継ぎでバンコクに寄ったことが事態をややこしくしたようだ。呼吸器症状はなかったものの、MERSの疑いから受け入れてくれる病院が一向に見つからないまま、時間ばかりが過ぎていった。


韓国で猛威を振るった中東呼吸器症候群(MERS)が世界に大きな不安を与えたことは記憶に新しい。5月20日、バーレーンから帰国した韓国人男性に最初の感染が確認されて以来、被害は拡大を続け、6月1日には初の死亡者が出た。その後、6月初旬から中旬にかけて感染者数が急激に増加した。世界保健機関(WHO)が取りまとめた韓国人感染者のプロファイルによれば、感染者数は累計186人(中国で感染が発覚した1人を含む)、うち29人が医療従事者であった。死亡者は36人に上り、中東地域以外では最大の流行規模となった。

発生(5月20日)から韓国政府による終息宣言(7月28日)までのMERS感染者数と死亡者数

今回、韓国で感染が広がった背景には何があったのだろうか。6月16日にジュネーブで開催されたWHOの「中東呼吸器症候群コロナウイルス(MERS-CoV)に関するIHR緊急委員会第9回会議」において、委員会は韓国でのMERS感染拡大の主な要因は以下の5つであるとした(※1)

  1. 医療従事者・一般国民のMERSに関する認識の欠如
  2. 医療機関の最善とは言い難い予防・制御措置
  3. 混雑した救急外来や相部屋の病室における感染者との親密で長時間の接触
  4. 複数の病院を受診する「ドクター・ショッピング」の慣習
  5. 多くの見舞い客や親族が感染者とともに病室に滞在する慣習

これらの要因を整理してみると、新しい感染症に対する意識の低さ(①、②)に、韓国的な医療文化(③、④、⑤)が災いした構図が読み取れる。しかし、①、②については必ずしも韓国に限ったことではなく、どこの国であれ、それまではあまり知られていなかった感染症の発生時、初動対応に一定の不手際があるのはやむを得ない面もある。認識が欠如した状態では医療機関の措置も最善のものにならないのは仕方ないだろう。


韓国のMERS経験が示唆するのは、グローバル化が進展し国際的な人の移動が活発となった今、どこの国もこうした感染症の大流行が起こるリスクを抱えており、誰しもが感染症の罹患者にも媒介者にもなり得るということだ。衛生環境のレベルという意味での先進国か途上国か、気候の温暖か寒冷かを問わず、ウイルスが変異し、異なる気候・風土に適応する可能性もある。隣国の状況を目の当たりにし、決して他人事ではないと感じた日本人は多かったはずだ。


日本から海外に出て行く旅行者やビジネスパーソンのみならず、最近では日本を訪れる外国人の数も増加し続けている中(※2)、感染症に対応できる医療機関の拡充や専門医の育成は、日本にとって今後の重要課題となるだろう。日本国内では症例の少ない感染症は、基礎研究は進んでいても医療機関で実際に処置を受けるのは難しいことがある。感染症の疑いがある場合、基本的にはトラベルクリニック等、感染症の専門医のいる医療機関にかかるべきだが、トラベルクリニックは東京をはじめとした大都市に集中しており、地方では専門的な医療サービスが限られるのが現状だ(※3)。帰国後すぐに発症し、空港など防疫体制の整った場所で検査を受けられればいいが、大抵の感染症にはウイルスの潜伏期間があるため、帰国直後は健康でも、しばらくしてから突然感染が発覚するケースもある。


個人としてできることもある。日頃から自身の生活や仕事に関係する地域で発生している感染症について、基礎的な知識を持っておくことだ。例えば、開発途上国での仕事をしている人にはよく知られている「デング熱」の場合、解熱鎮痛剤や頭痛薬に配合されているアスピリンやイブプロフェン、ロキソプロフェンが血小板の働きを抑制し、出血症状を重症化させるリスクがある。応急処置として市販薬を服用する際に、症状と照らし合わせて成分を確認できる程度の知識は持っておくべきだろう。「感染症入門」は、グローバル化の時代を強く、逞しく生き抜くための必修科目かもしれない。


(※1)World Health Organization, “WHO statement on the ninth meeting of the IHR Emergency Committee regarding MERS-CoV
(※2)日本政府観光局(JNTO)によれば、2014年の訪日外国人旅行者は1,341万人で過去最高を更新。2015年上半期(1月~6月)は、過去最高だった前年同期からさらに46%増加し、914万人に上った。
(※3)トラベルクリニックとは、主に海外への渡航者を対象とし、渡航前健康診断、渡航先や渡航時期に応じた予防接種、英文診断書の発行等を専門とする医療機関のこと。2015年8月現在、一般社団法人日本渡航医学会に登録されているトラベルクリニックの数は、日本全国で81ヵ所。うち、18ヵ所が東京都にある。

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