1.好調な経済成長で注目を浴びるインドネシア


ここ数年、好調なインドネシア経済が注目を浴びている。ASEAN諸国の中でも、輸出依存度が低いことから、実質GDP成長率(以下、成長率)は、2009年にはリーマンショックの影響を軽微に抑えて4.6%となったあと、2010年および2011年は6%台を続けている。2012年および2013年の成長率見通しについても、中央銀行およびIMF、ADBなどの国際機関によれば、いずれも6%台と、潜在成長率(推定6%台)の水準を維持する見込みである。


成長の主因は、対内直接投資の急増である。国際収支の直接投資流入超額をみると、1998~2003年は概ね流出超と低迷したあと、2004~2009年は、アジア経済危機前の1995~1997年の水準(50億ドル近傍)を大きく上回ったのは05年(83億ドル)と08年(93億ドル)のみと伸び悩んでいた。しかし、2010年133億ドル、2011年148億ドルと飛躍的な増加を示した。最近では、台湾の鴻海がインドネシアに進出する意向を表明、同社がフィージビリティスタディに入っている模様である。


主要格付機関のインドネシアに対する評価も上がっている。各社のソブリン格付をみると、フィッチが11年12月にBB+から BBB-へ、続いてムーディズが2012年1月にBa1 からBaa3 (両社ともアウトルックは安定的) へ、いずれも投資適格格付に引き上げた。経済指標をみても大幅に改善している。対外債務残高/GDPは、97~98年のアジア通貨危機以前は60%近傍で推移していたが、2011年には26.7%と、ASEANではタイ(30.7%)やマレーシア(32.9%)よりも低い水準にまで改善した。消費者物価上昇率は、しばしば2桁を覗う水準であったが、2009年以降は前年比5%近傍に低下している。また、財政赤字/GDPも、国家財政法で3%以下にすることを義務付けていることもあり、ここ数年2%未満で推移している。



2.労働争議と規制強化で進出企業が撤退


しかし、ここにきて成長のエンジンである直接投資の勢いが止まりかねないニュースが飛び込んできた。11月7日、インドネシア雇用者協会(APINDO)のソフヤン・ワナンディ会長が記者会見で、日系企業を含む外資系製造業5社と地場製造業1社がインドネシアから撤退を決めたと発表した(※1)


撤退の直接の要因は、急激な賃上げや労働争議である。急激な賃上げと製造業における労働者派遣を禁止するように要求して、2012年10月には激しいデモがジャカルタ周辺を中心に頻発したほか、社外の労働運動家が、工場に社員を閉じ込めるなど、労働者側の過激な行動が目立つようになった。政府は、最低賃金を大幅に引き上げるなど、労働者寄りの裁定を示し、2013年の賃上げ率は30~50%といった大幅増で労使が合意している。これまでの賃金水準が低かったともいえるが、急激な賃金上昇は、来年以降も続く可能性もあり、同国の国際競争力を低下させかねない。


懸念されるのは、労働問題だけではない。最近は地場産業育成を名目に、外資系企業に負担を強いる規制も出ている。


たとえば、小売分野では、フランチャンズ店舗の規制が強化されている。まず、事業者が販売する商品の8割以上を国産品とすることに加え、直営店を1企業あたり150店舗に規制して、地場中小事業者をフランチャイジーあるいは物品・サービス供給者とすることを義務付けた。コンビニの分野では、セブンイレブンが83店舗、ローソンが70店舗展開している(ともに2012年9月末)ほか、2012年10月にファミリーマートがジャカルタ郊外のデポックに初出店したばかりである。このほか、ミニストップが進出することで、地元企業と基本合意している。この規制は、地場企業および外資系企業が同様に適用される。しかし、国産品規制は、ともに6,000店舗以上展開している地場のアルファーマートとインドマート(※2)に対抗して、質のよい日本製品で差別化したい日系コンビニにとっては、事実上の「非関税障壁」である。


自動車産業では、エコカー(環境対応車)に対して、政府が部品現地調達率を基準にインセンティブを供与する方針を検討している。こちらは、規制ではないが、国内の自動車組み立てメーカーは全て外資であることもあり、地場部品メーカーを育成して、部品輸入を減らそうといる。目的は、フランチャンズ規制とほぼ同じである。


同国が地場産業育成を急ぐのは、雇用の拡大が大きな課題になっているためである。11年通年の失業率は6.6%で、ピークだった2005年の11.2%から改善している。しかし、失業率にフルタイムで働いていない労働者(半失業者)を含めると、40%に達する。この数字は、90年代からほとんど変化がない。むしろ、半失業者は増加傾向にある。さらに、上述の失業者の改善は、公務員の増員によるところが大きい。実質的に、雇用は改善していない。


雇用促進のためには、こうした地場産業育成策や、輸入削減策は一見理に適っているように見える。しかし、実際に実施されている政策をみると、視野が狭く、疑問視せざるを得ない。



3.「たなぼた」による直接投資増加


まず、外国投資家には、こうした「地場企業育成」政策は、「上から目線」に映りかねない。わかりやすく言えば、「我が国は、人口2億人台、中産階層が育ちつつあり、経済成長のポテンシャルは大きいのだから、来たければどうぞ」という感覚である。もともと、同国には、自国の人口がASEAN最大であるということから、大国意識があることは否めない。しかも、LNG、石炭やパームオイルといった資源に恵まれているという甘えがあることも、「大国意識」を助長している面があるとみられる。


2010年以降、直接投資が好調だった理由は、マクロ経済指標の改善や投資認可手続きの簡素化など、同国自身の努力もあったが、むしろ外部要因による幸運な「たなぼた」によるところが大きい。2011年の東日本大地震とタイの洪水によって、日本の東北地方とタイに集積していた自動車、電子、機械メーカーなどの多くの生産拠点が被災したことから、インドネシアで代替生産やリスク回避の投資を行ったためである。さらに、中国における人件費高騰や、最近では反日の機運も、同国にとっては追い風になっている。


インドネシアが、こうした状況を自らの実力と勘違いして、投資誘致で「上から目線」を続けることはできない。フィリピン(人口2010年9,234万人)、ベトナム(同2011年8,784万人)、ミャンマー(同2011年10月ADB推計6,040万人)などASEAN諸国の中でも人口が多く、一人当たりGDPがインドネシア(3,574ドル)よりも低い国々は、製造業、サービス業とも投資誘致の強力なライバルになりうる。さらに、人口12.2億人(2010年世界銀行推計)のインド、同1.5億人(2011年)の隣国バングラディシュとの競争も避けられない。


とくに、もともと、一人当たりGDPが2002年まで一貫してインドネシアよりも水準が高く、同じように「規制緩和至上主義」で失敗したフィリピンは、かつての反省もあり、中国よりも低い労働コストと柔軟なインセンティブ供与を武器に、日本企業の誘致に照準を合わせ、2012年に入ってキヤノンの誘致に成功した。ベトナムでは、同社の進出が北部への日系企業進出の「引き金」役を果たしており、それをフィリピン政府が十分認識して誘致したとみられる。


他のASEAN諸国の投資誘致攻勢に対して、インドネシアの投資優遇策は、「大国意識」も反映して、魅力的とは言い難い。そもそも1990年代のインドネシアは、「新興国における新古典派理論の実験場」と言われ、政府の直接的な関与を嫌い、規制を緩和する代わりに、原則として直接投資に対するインセンティブは付与しなかった。


インセンティブを付与しない「規制緩和至上主義」は、一時同国をASEANの負け組に追いやった。同国への直接投資は、2000年代に入ってから、当時大幅な投資インセンティブを武器にした中国の後塵を拝し、自動車産業誘致ではインセンティブを効果的に用いて、「アジアのデトロイト」を築いたタイの独走を許した。さらに、インドネシアは、2006年ごろまで自動車、電機・電子産業など日系企業を中心とするASEANにおける生産分業ネットワークから外れた。こうした状況を主因に、上述のようにインドネシアへの直接投資流入超額は伸び悩んだ。


1996年に、当時のラディウス・プラウィロ経済調整大臣に、インセンティブを付与しない理由を尋ねたところ、「マクロ経済を歪めるから」という答えであった。現在も、そうした政策方針の名残があるためか、他のASEAN諸国のような思い切った投資優遇インセンティブは見られない。



4.時代遅れでピントが外れた産業政策


さらに、上述の地場企業育成や輸入削減を目標にした規制強化やインセンティブは、1990年代の政策の焼き直しに過ぎない。たとえば、1980年代から計画された自動車の部品現地調達比率規制は、1990年代はじめに達成できず頓挫し、その後、規制そのものがWTO(世界貿易機関)で禁止されている。また、90年代半ばに、「国民車計画」と称して、当時の大統領スハルトの三男の会社と韓国起亜自動車との合弁企業を優遇する理由付けとして、部品現地調達比率の段階的な向上を求めたが、アジア経済危機で会社自体が破綻して計画が頓挫した。


アジアの基幹産業である自動車産業についてみると、タイの独走を許した理由は、自国の自動車産業の市場をASEAN全体と見るか、自国のみとするか、産業政策の視野の広さの違いによるものである。


タイは、90年代後半に、フォードの工場誘致にあたり、輸入部品関税を免除するインセンティブを掲げ、インセンティブを出し渋ったフィリピンに競り勝った。これを契機に、輸入部品関税免除を梃子に、日本の大手自動車メーカーの誘致に成功、完成車と部品ともタイからASEAN諸国に輸出し、関連部品産業の集積も日本に近い水準にまで達している。初めから製品輸出を目指していたからこそ、進出企業にとっては生産量が国内市場に加えて輸出分も加わり、輸入部品関税免除も相俟って、一台あたりの生産コストが低下したのである。


しかし、インドネシアの自動車産業政策は、相変わらず自国の現地部品調達率にこだわり続け、輸出について効果的な政策は皆無に近く、1990年代の失敗から何ら進歩がない。2015年に投資貿易の自由化を柱とするASEAN 経済共同体が発効することもあり、自国市場にしか目が向かない産業政策は、時代遅れでピントが外れていると言わざるを得ない(※3)


とくに、製造業の政策を所轄する工業省は、中央官庁の中でも主流とは言い難く、広い視野での産業政策を求めること自体、無理なのかもしれない。エコカー優遇策の策定についても、大統領官邸も別途検討するなど、迷走を続けている。


産業政策としては、政府が2011年に発表した今後15年間の経済成長促進・拡大基本計画(Master Plan for the Acceleration and Expansion of Indonesia’s Economic Development;MP3EI)がまとまっている。このMP3EIでは、25年までに、名目GDPを10年の6倍超の4兆5千億ドルへ、また、1人当たりGDPを約15,000ドル程度まで拡大し、世界のGDPトップ10入りを果たすという目標を掲げている。しかし、残念ながら、このMP3EIも、ピントが外れていると言わざるを得ない。


MP3EIをみると、重点分野として掲げられているのは、資源および一次産品関連と、課題とされているインフラ整備である。雇用吸収力が高い製造業分野では、繊維産業が掲げられているだけである。たしかに、繊維産業は、製造業で最も多いとみられる130万人以上を雇用する重要な産業である。しかし、そのうち60万人は、急激な賃金上昇によって国際競争力が失われつつある労働集約的なアパレル産業に雇用されている。今後の賃金上昇によって、インドネシアよりも賃金が低いベトナム、ミャンマー、バングラデシュなどにアパレル輸出のシェアが奪われることが予想されることから、アパレル産業の雇用は減少が見込まれる。雇用が課題であるにも関わらず、アパレル産業の雇用の受け皿となり、さらに雇用を生み出すべき製造業がMP3EIでは全く取り上げられていない。


また、アパレル産業は、製造業で最も輸出が多い産業であるが、同産業の輸出が減少しても、資源や一次産品でカバーできればよい、というスタンスがMP3EIからは読み取れる。しかし、こうした分野では、製造業のような雇用吸収力は期待できない。しかも、同国の輸出は、およそ半分が一次産品関連品目であることから、国際商品市場に左右されやすく、これ以上の一次産品依存は、輸出を不安定にしかねない。「資源があるから」という意識は、雇用と輸出を拡大する障害になっている。



5.知恵を結集して投資誘致競争を勝ち抜く


筆者は、APINDOのワナンディ会長とは、アジア経済危機直後の1998年から2000年の間5回ほど面会して、同国の経済に対する見方について意見交換した。財界人の中で、同国経済に対して、最も厳しい見方をしていたからである。しかも、この世代(71歳)の大物財界人では珍しく、同国最高学府であるインドネシア大学経済学部OBでもある知性派である。1998年の面会の際に印象的だったのは、「これから10年、インドネシア経済は低迷する」という予測であった。事実、1998年から2007年までのちょうど10年間、実質GDP成長率は最高でも5%台で、マクロ経済の需給ギャップは埋まることがなかった。ワナンディ氏の予測は見事に的中したのである。


同氏は、経営者として労働争議に直面し、事態を把握するための詳細な調査の実施を指示しており、その調査によって企業撤退についての情報を得ている。その結果をわざわざ記者会見を開いて公表したのは、単に経営者、雇用者としての立場に止まらず、自国経済に対する強い危機感に駆られたものと思われる。


周辺国の投資誘致の追い上げに加え、労働争議、急激な賃上げ、時代遅れの産業政策が重なれば、直接投資の誘致競争に再び敗れ、投資は低迷し、同国経済は再び低空飛行の状態に戻りかねない。とくに、総投資実行額の約70%を直接投資が占めていることから、直接投資の減退は、成長率の低下に直結する。ワナンディ氏は、こうした状況を十分に把握しているからこそ、強い危機感を抱いているとみられる。いわば、インドネシア経済の死角が顕在化してきたと言えよう。


大和総研は、1995年に、当時の商工省に対して、電機・電子産業の育成策を提言したが、中央官庁に規制緩和至上主義が浸透している中で、取り上げられることはなかった。現在も、インドネシアの中央官庁からは、上述のように雇用や輸出を拡大するための明確なビジョンや政策は伝わってこない。


今こそ、国内外の識者の知恵を活用して、ASEANの中でも付加価値と競争力がある製造業を選んで、育成してゆく必要がある。たとえば、ようやく裾野産業の集積が始まった自動車産業には、ポテンシャルがある。さらに、国営企業担当相の下で取り組んでいる電気自動車開発なども、新規産業の種になろう。また、国内の熱帯雨林に賦存する豊富な生物を生かした新薬開発が長年叫ばれてきたが、これもポテンシャルを有していると思われる。ASEANのみならず、インドネシアの経験を生かして、インド・中東、アフリカまで睨んだ輸出戦略も含めて、様々な可能性を探ってゆくことも選択肢の一つであろう。


(※1)同協会ウエブサイトに掲載されたプレスリリースによる。11月7日付日本経済新聞によると、「日系企業2社を含む約10社が撤退を検討、うち6社が既に操業停止、会員企業で少なくとも100社が(経営側が工場などを一時閉鎖する)ロックアウトを計画している」と報じている。現地紙の中には、「10社が撤退決定、100社が撤退検討」と報じているものもある。日経では、上記で言及されている日系企業は、ジャカルタ郊外に拠点を置く印刷・包装会社と重機メーカーとしている。
(※2)正確には、これら地場企業は、ミニマートと称され、生鮮食料品を扱うなど、コンビニとはやや異なる商品構成になっている。
(※3)2012年8月23日付Jakarta Globe電子版では、工業省は繊維機械の更新に際して、地場の機械を購入することを前提として、税の減免を検討している旨報じている。強引な地場機械への置き換えは、更新する地場機械の品質によっては、輸出品の品質低下を招く。ここでも、輸入削減が直接の目的となっており、賃金上昇に苦しむ繊維産業にとって競争力強化や輸出増加に焦点が当たっているわけではない。MP3EIにも盛り込まれているように、デザイン強化など付加価値の向上を通じた地道な輸出促進策を打つべきであろう。


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