中国における人脈の重要さについて

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最近、中国では「(発音:pin)」という文字が良く他の文字と組み合わせて使われている。たとえば、「寄せ集める」という意味で使われている「車(通勤シェアリングのことで、詳細は弊社ホームページのアジアンインサイト『浪費する中国人、倹約する中国人【2011/12/06付】』)参照」。このほかに、「死にもの狂いに行う、懸命になる」という意味で使われている「拼爹」及び最近出てきた「同学」のような新語がある。

拼爹は父親の意味である)」というのは、親の経済能力や社会的地位、特に公権力により勝負することで、「同学」というのは、クラスメートや校友関係により勝負することである。公権力をもち、有利な社会的地位に立っている親を持つ人は多くはない。一方、「同学」のほうは関わる人間が多い。この二つの言葉からは共に人脈の重要性が伺える。

人間関係の中に血縁人脈、地縁人脈、学縁人脈、事縁人脈、客縁人脈のようなものがあるのは世界中に共通していると思うが、中国は特に人脈社会であると読者の皆様は聞いたことがあるはず。実際に生活や仕事をしていく中、多くの人は、人脈、特に学縁人脈の重要性を感じている。

そこで、「多額のお金を出して子供を人気校に入れて、小さい頃から良いクラスメートをつけておけば、大人になれば、自然に良い学縁人脈を持つようになる」と思う親さえ現れた。西安のある市民が8万人民元(約100万円)をかけて成績がそれほど優秀ではない子供を名門校に入れたことがメディアで報道された。学校を選択する現象が目立つ中国で、これは普通と言えば極く普通であるが、この親が口にした「自分の子供に、このような家庭背景と成績とも良いクラスメートがいれば、強い人間関係網を持つことになり、将来に役立つはず」という言葉は世間の耳目をひいた。この親の動機を理解する声もあるが、批判の声が過半数を占めている。批判の理由として、子供を大人の競争に取り込み、教育を純潔ではないものにしたことである。

メディアで良い例として挙げられたのは、「孟母三遷」である。これは、孟子の母親が、孟子の子供時代によい環境で勉強させようと三回引っ越した物語で、教育にはその周囲の環境が大事であるという意味を含んでいる。

上記の親の不純な動機を除けば、子供の教育に良い環境を与えたい孟母と匹敵するほどの、親としての気持ちが感じられる。ただし、成績がそれほど優秀ではない子供を名門校に入れただけで優れた人脈関係が作られるか、筆者は疑問を持つ。高校時代のある授業で勉強したように、内因と外因という二つの側面がある。この親はあくまでも子供に良い教育環境を与えただけである。いわば外因を備えただけである。子供がこの学校で勉強がよくできるのか、友達を作れるのかは子供次第である。いわば内因を備えられるかは子供による。子供が親に望まれるように人間関係を作るだけの目的でこの学校にいるとしたら、将来はどうなるのか想像するだけで恐ろしい。


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