「人民元建て貿易決済が急拡大」、「人民元建て決済 対象企業を拡大」といった報道が相次ぐなど、人民元国際化の動きに注目が集まっている。2009年7月開始の「クロスボーダー人民元決済」は、本年6月には試行地域を4都市から20地域へ、対象地域を香港・ASEANから全世界へ拡大することが認められている。世界金融危機以降に始まった中国通貨当局と通貨スワップ協定を結ぶ動きも10カ国近くにまで増加、また、人民元の運用先として限定条件付きながら海外投資家に債券購入を認める動きなどと相俟って、中国は通貨戦略を着々と進めているように見える。


識者の中にはこうした動きを、中国の輸出企業が為替リスクを負わないようにするため、つまり、現状の輸出超過体制を維持した経済成長のための人民元国際化・主要決済通貨化を狙ったものと評している。なかには金融危機を端緒に信頼揺らぐ基軸通貨米ドルの代わりを、時間をかけて人民元が担うようになる流れを指摘する向きもある。仮に人民元が基軸通貨の地位につけば、中国は自国通貨建てで国際取引ができるため、為替変動リスクを最小化し、さらに、自国通貨での対外支払いが可能になるため、経済活動が国際収支の制約を受けないなど、通貨発行益を含めた大きなメリットを享受することになる。(1)軍事をはじめ国際政治における影響力が大きく指導的立場を担い得る、(2)基軸通貨を支える強い実体経済が存在するなど、基軸通貨国に必要とされるいくつかの条件を考えれば、中国が将来的に基軸通貨国となる可能性は強ち否定できないかもしれない。


しかし筆者は、中国の経済構造や世界通貨システムの現状から考えて、人民元が基軸通貨あるいは世界の主要取引決済通貨の地位につく可能性には大きな疑問を持っている。基軸通貨として備えるべき条件として、(1)国際間の貿易・資本取引に広く使用される決済通貨としての側面、(2)各国通貨の価値を測る基準通貨としての側面、(3)各国当局が外貨準備として保有する準備通貨としての側面などが必要になる。このうち(2)と(3)に関しては、中国経済の強い影響力を背景に今後の人民元が徐々に備える可能性は十分にある。一方、(1)決済通貨としての前提である人民元の供給力(あるいは流動性供給力と言ってよいかもしれない)については、基本的に経常収支(貿易収支)が赤字の状態にあることが必要になる。つまり、輸入等を大きく増やして世界中に人民元を供給する状況が継続しないと世界中に人民元を行き渡らせることはできない。人民元が世界中に行き渡っている状態があってはじめて、人民元が決済通貨として便利に使用されることになるのだ。


こう考えると、そもそも対外純債権国として足元で積上る米ドル等の為替リスクを避ける目的で人民元の基軸通貨化を模索するアプローチは、結局は経常収支赤字の継続という現在の経済・産業構造の大転換を必要とするという自己矛盾を孕んでいる。中国にとって、何のための人民元の基軸通貨化・主要決済通貨化なのかという問いを改めて考えねばならず、まさに日本が円の国際化を議論する過程で指摘されたのと同じ問題に直面することになる。要するにグローバルインバランス(対外不均衡)の問題を、通貨の問題、つまり為替調整や国際通貨システムの変更等で解決することは、基本的にできないと肝に銘ずるべきではないか。


かつて英ポンドから米ドルへ基軸通貨の座が段階的にシフトした1920~40年代は、金本位制(金為替本位制)の下で輸出超過、黒字獲得を続けたアメリカに世界中の金の大部分が集中していくという事情があった。金本位制下では、黒字累積が金の保有増を通じて当該国の経済的な立場を強くするから、アメリカの対外準純債権国という立場はそのまま基軸通貨国の大きな条件として作用した。また、40年代後半には第二次大戦で被災した欧州の復興のために、アメリカは西側欧州16カ国に対して大規模な復興援助計画「マーシャルプラン」を推進した。同プランに基づく無償援助総額は100億ドルを超え、当時の援助対象諸国の国民総生産総額の5~10%に相当する米ドルが数年に亘って供与された。この資金を元に欧州各国はアメリカから資本財等を輸入して、戦後復興を早期に成し遂げることとなるのだが、この無償の資金供与が世界中に米ドルを行き渡らせ、米ドルの基軸通貨としての地位を完全なものとする決定的なイベントとなった点は忘れてならない。


以上に対して、現在の世界経済の通貨システムは不換紙幣つまり管理通貨制度下で運営されている。中国の輸出超過、経常黒字の継続や外貨準備の蓄積が、そのまま当該国の経済的な立場を強くすることを意味しない。基軸通貨や主要国際決済通貨というものは、事実として存在する現象に過ぎず、事実としてその通貨が世界中に豊富に供給されていて、調達の容易さなど決済時の利便性が高いことが重要な意味を持つのである。この点、中国の人民元が事実として世界中に行き渡る状況がどのようにして作り出されるのか、これが今後の人民元の行方を決定する重要ポイントとなろう。あるいは中国は、諸外国向けに相当水準の人民元を無償供与し、これら供与国向けに「世界の市場」として内需を提供する用意をしようというのだろうか。



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