中国における格差問題をどうみるか

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高成長が続く中国経済が抱える大きな問題のひとつとして、都市住民と農民の所得分配の不平等や沿海部と内陸部の地域格差が、従来からよく指摘されている。UNDP(※1)の推計では、中国のジニ係数(※2)は2008年には0.51と、危険水準と言われる0.4を大きく超え、国際的にも最も高い部類に入っている。また最近中国国家統計局が発表した数値でも、2009年の都市部と農村部の一人当たり所得の比率は、3.33:1と、1978年から始まった改革開放以来、最大の格差となった旨である。他方、2008年11月に打ち出された4兆元の景気刺激対策が、国際的な金融危機の影響を相対的に強く受けて成長率を落とした沿海部ではなく、むしろ内陸部のインフラ整備に向けられ、農村での雇用機会の創出、出稼ぎ労働力の需給逼迫、賃金上昇という現象が生じている点に注目し、格差問題にやや変化が見られるとの指摘もある。こうした格差を巡る議論、現状をどうみるか?3点ほど指摘したい。


まずマクロ理論的にみると、中国のこれまでの急激なジニ係数の上昇は、低所得国から中進国へ移行する段階で、所謂クズネッツ曲線の逆U字(※3)曲線を上がっていった過程と捉えられるが、これがひとまずピークを迎えつつある可能性はある。これは、最近しばしば言及される中国がルイス転換点(※4)を迎えた(工業化の過程で農村からの労働力供給が逼迫し、賃金が上がり始める)という見方とも合致する(もっとも、クズネッツもルイスも理論的フレームは判然とせず、両者を関連付けるのが適当かどうか、筆者は定かでない)。そうであるならば、今後、中国のジニ係数は逆U字曲線に沿って下がり始めると予測できるが、必ずしもそうは楽観できないだろう。クズネッツ曲線は、これまではある程度経験的に当てはまった面もあろうが、最近の先進国の状況をみると、特に情報化や革新的金融技術の急速な進展の影響を受け、縮小し始めた格差が再び拡大する傾向が見られる。(即ち曲線は単純な逆U字型ではない。)現在の中国は、完全に先進国の仲間入りはしていまいが、情報化等は先進国と同様に進んでいる「何もかもが混在するmixed bag」の状態にあり、これが格差を再び広げていく可能性は十分ある。


第二、筆者は、胡錦濤政権にとっての最大の政策課題は、常に「社会の安定」であり続けてきたと見る。政権発足以来、「和谐」(ハーシエ)社会をスローガンに掲げ、西部大開発、東北振興、中部勃興と立て続けに内陸部開発のイニシアチブを打ち出してきた所以である。それでは、実際のところ、格差問題がどの程度、社会の安定を脅かす要因になりうるのか?


中国学者の暴動の調査によると、格差が引き金となって暴動が発生するという事例がかなりみられるということだが、そもそもどの程度暴動が起こっているかの信頼に足る公式のデータもないのでよくわからない。決して楽観はできないが、筆者は、基本的には、格差が広がっても、低所得者、また発展の遅れた地域の状況が良くなっている限りにおいては(つまり、所謂経済のパレート改善(※5)が進んでいる)、そして、人々が、政府は社会正義のためがんばっていると認識している限りにおいては、格差問題が決定的な社会不安要因になることはないだろうとみている。中国の場合も、「社会主義市場経済」の錦の下で市場経済を導入し、高成長を遂げてきたが、市場経済はパレート改善を図りながら、経済のパレート最適を達成するもので、本来、分配問題には応えない。改革開放以来の格差拡大の歴史もそういったものではなかったか。結局のところ、一部の人々が貧困から抜け出していく発展過程で、格差が拡大するのはある程度やむをえないし、それが低い労働力コスト、製造業の輸出競争力強化を通じ高成長を支えた要因でもある(有名な鄧小平の让一部分人先富起来、先に一部の人を豊かにしていくという言葉は、あるいはこの点を見通したものであったか)。かつての日本の高度成長期も然り、ちょうど都市と地方の大きな格差が縮小し、地方もかなり豊かになってきた時点で、高度成長期も終わりを迎えたということは言えそうだ。その意味では、格差は、ある程度、高度成長を支える必要悪であるかもしれない。問題は、今後、中国も成長がスローダウンし始め、パレート改善を図ることが難しくなってきた場合に、人々がそれでも政府はよくやっていると評価し我慢できるかどうかだろう。


第三、本問題に対するやや違った次元のアプローチであるが、中国内陸部でビジネスをしている日本人駐在員などに話を聞くと、中国の農村、農民は貧苦にあえいで悲惨だといわれているが、実際に行ってみるとそうでもない、彼らは自然豊かな農村での生活を楽しんでおり、総じて幸せそうである、必ずしも深刻に捉える必要はないのではないかという指摘に出会う。こうした指摘は確かに面白い論点を含んでいる。実際、のどかな農村での生活は、大気が汚染され、忙しい都会でストレスを感じながら生活している都市住民からみると、ある種うらやましい面もある。しかしながら、人々が幸せなのかどうか、人間として豊かな生活をおくっているのかどうかは、やはり、その教育機会へのアクセスがどうなっているのか、生活面での様々なインフラがどの程度整備されているのか、医療衛生面はどうか、出生率や幼児死亡率、平均寿命はどうか等々、様々な指標に基づき客観的に分析することが不可欠である。またこうした地域は一般的に、自然災害が生じた場合に非常に脆弱であり、インフラ面や情報面等で整備すべきことが多いのもまぎれもない事実である。


そうした分析を踏まえれば、中国の農村あるいは他の途上地域で、生活環境の改善を必要としている貧困層がなお多く存在することは否定し得ない。また、そうした地域の人々が、仮に不満もなく幸せそうに暮らしているとしても、それは単に豊かな生活がどういうものかについての情報に接したことがないというだけのことかもしれない(この点は情報化の進展との関連で重要)。他方で、筆者自身、かつて南太平洋のいくつかの途上国の援助プロジェクトを視察に行ったことがあるが、澄み切った空とエメラルドグリーンのさんご礁の海に囲まれた住民のスローライフに接し、こうしたところに、頼まれてもいないのに(要請を受けている場合ももちろんあろうが)どかどか入り込んで工業化を進めることが、果たして、ほんとうに住民のよりよい幸せにつながっていくのだろうかと考えさせられたこともある。豊かさとは何か、生活の「質」とは何か、これを常に根源的なところに遡って考えることも必要だろう。

(※1)国連開発計画(United Nations Development Program)
(※2) 所得の不平等の程度を示す代表的な指標。横軸に所得の低い人を順番に並べ、縦軸にその累積所得額の全所得に対する比率をとり、描かれる所得分布曲線と45度線との乖離割合を係数にしたもの。完全に平等の場合はゼロ、一人に全所得が集中している場合は1になる。
(※3) 経済成長と所得分配の関係を説明する仮説。成長の初期の段階では、うまく成長に乗る者と乗り遅れる者の間で格差が広がるが、成長が進むに連れ、賃金が上がり、成長の恩恵が幅広く行渡るようになって、格差が縮小するというもの。従って、横軸に一人当たり所得、縦軸にジニ係数をとると、ちょうどU字を逆さまにしたような曲線になる。
(※4) 工業化の初期段階では、余剰労働力を抱えた農業部門から工業部門へ安価な労働力が移転されるが、工業化の進展に伴い、農業部門の余剰労働力が底をつき、労働需給が逼迫、賃金が上がり始める。この転換点を指す。
(※5) 完全な市場メカニズムは、「他の誰かの利益を下げることなしには、誰の利益も上げることができない」という、一種の最適状態(パレート最適)を達成するとされる。逆に「他の人の利益を損なうことなく、誰かの利益をまだ改善することができる」のがパレート改善。



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